てつ》の針《はり》を植《う》えたようなひげがいっぱい顔《かお》に生《は》えていました。それから体《からだ》の重《おも》みが六十四|斤《きん》もあって、怒《おこ》って力《ちから》をうんと入《い》れると、その四|倍《ばい》も重《おも》くなるといわれていました。それでどんな荒《あら》えびすでも、虎狼《とらおおかみ》のような猛獣《もうじゅう》でも、田村麻呂《たむらまろ》に一目《ひとめ》にらまれると、たちまち一縮《ひとちぢ》みに縮《ちぢ》みあがるというほどでした。その代《かわ》り機嫌《きげん》よくにこにこしている時《とき》は、三つ四つの子供《こども》もなついて、ひざに抱《だ》かれてすやすやと眠《ねむ》るというほどの人でした。ですから部下《ぶか》の兵士《へいし》たちも田村麻呂《たむらまろ》を慕《した》いきって、そのためには火水《ひみず》の中にもとび込《こ》むことをいといませんでした。
 田村麻呂《たむらまろ》はそんなに強《つよ》い人でしたけれど、またたいそう心《こころ》のやさしい人で、人並《ひとな》みはずれて信心深《しんじんぶか》く、いつも清水《きよみず》の観音様《かんのんさま》にかかさずお参《まい》りをして、武運《ぶうん》を祈《いの》っておりました。

     二

 ある時《とき》奥州《おうしゅう》の荒《あら》えびすで高丸《たかまる》というものが謀反《むほん》を起《お》こしました。天子《てんし》さまの御命令《ごめいれい》を少《すこ》しも聞《き》かないばかりでなく、都《みやこ》からさし向《む》けてある役人《やくにん》を攻《せ》めて斬《き》り殺《ころ》したり、人民《じんみん》の物《もの》をかすめて、まるで王様《おうさま》のような勢《いきお》いをふるっておりました。天子《てんし》さまはたいそう御心配《ごしんぱい》になって、度々《たびたび》兵隊《へいたい》をおくって高丸《たかまる》をお討《う》たせになりましたが、いつも向《む》こうの勢《いきお》いが強《つよ》くって、そのたんびに負《ま》けて逃《に》げて帰《かえ》って来《き》ました。そこでこの上はもう田村麻呂《たむらまろ》をやるほかはないというので、いよいよ田村麻呂《たむらまろ》を大将《たいしょう》にして、奥州《おうしゅう》へ出陣《しゅつじん》させることになりました。
 天子《てんし》さまの仰《おお》せ付《つ》けを受《う》けますと、
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