迷《まよ》った旅《たび》の修行者《しゅぎょうじゃ》でございますが、三|人《にん》のうち二人《ふたり》まで仲間《なかま》をなくしてしまいました。」
といって、今《いま》し方《がた》出会《であ》ったふしぎな出来《でき》ごとを残《のこ》らず話《はな》しました。すると女は大《たい》そう気《き》の毒《どく》がって、
「じつはわたしも鬼《おに》の娘《むすめ》です。永年《ながねん》あなたと同《おな》じような気《き》の毒《どく》なめにあった人を見《み》て知《し》っています。けれどもそれをどうして上《あ》げることもできませんでした。でもあなたはお気《き》の毒《どく》な人だから、助《たす》けて上《あ》げたいと思《おも》います。もう間《ま》もなく鬼《おに》がここまで追《お》っかけて来《く》るに違《ちが》いありませんから、少《すこ》しでも早《はや》く逃《に》げておいでなさい。これから一|里《り》ばかり行くと、わたしの妹《いもうと》がいます。そこへわたしから手紙《てがみ》をつけて上《あ》げます。」
といって、手紙《てがみ》を書《か》いてくれました。
坊《ぼう》さんは度々《たびたび》お礼《れい》をいって、手紙《てがみ》をもらって、また足《あし》にまかせて駆《か》けて行きました。なるほど一|里《り》ばかり行くと、松《まつ》のはえた山があって、その山の陰《かげ》に家《うち》がありました。そこへ入《はい》って、手紙《てがみ》を見《み》せますと、若《わか》い女が出て来《き》て、
「お気《き》の毒《どく》だから助《たす》けて上《あ》げたいと思《おも》いますが、あいにく今《いま》は悪《わる》い時刻《じこく》です。」
といって、ふしぎそうな顔《かお》をしている坊《ぼう》さんを、いきなり戸棚《とだな》の中にかくしてしまいました。しばらくすると、どこからか血《ち》なまぐさい風《かぜ》が吹《ふ》いてきて、がやがや人の声《こえ》がしました。やがて入《はい》って来《き》たのは、これも恐《おそろ》しい顔《かお》をした鬼《おに》でした。そしてもう入《はい》って来《く》るなり鼻《はな》をくんくんやりながら、
「ふんふん、人くさいぞ。人くさいぞ。」
とわめきました。
「ばかなことをいってはいけません。きっとけだものくさいの間違《まちが》いでしょう。」
と女はいって、牛《うし》や馬《うま》の生々《なまなま》しい肉《にく》を切《き》って出《だ》してやりますと、鬼《おに》はふうふういいながら、残《のこ》らずがつがつして食《た》べた後《あと》で、
「ああ、腹《はら》がくちくなった。だが、どうも、やはり人くさいぞ。今《いま》に探《さが》し出《だ》して食《た》べてやる。」
といって、またどこかへ出ていきました。
この間《あいだ》坊《ぼう》さんは始終《しじゅう》戸棚《とだな》の中からそっとのぞきながら、びくびくふるえていましたが、その時《とき》女は戸棚《とだな》をあけて坊《ぼう》さんを出《だ》してやって、
「さあ、早《はや》く逃《に》げておいでなさい。」
といって、詳《くわ》しく道《みち》を教《おし》えてくれました。坊《ぼう》さんは涙《なみだ》をこぼして、手《て》を合《あ》わせて拝《おが》みながら、ころがるようにして逃《に》げていきました。何《なん》でも山の中の道《みち》を三|里《り》ばかり夢中《むちゅう》で駆《か》けたと思《おも》うと、だんだん空《そら》が明《あか》るくなって、夜《よ》が明《あ》けました。
その時《とき》にはもういつか村《むら》の中に入《はい》っていました。方々《ほうぼう》の家《いえ》からはのどかな朝《あさ》の煙《けむり》がすうすう立《た》ちのぼっていました。
底本:「日本の諸国物語」講談社学術文庫、講談社
1983(昭和58)年4月10日第1刷発行
入力:鈴木厚司
校正:土屋隆
2006年9月21日作成
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