やさしくしよう、あたしのいのちを、あの方にささげよう。」
 ところが、そのうちに、王子がいよいよ結婚することになった、おとなりの王国のきれいなお姫さまをお妃《きさき》にむかえることになった、といううわさが立ちました。そのために、王子さまは、りっぱな船を一そう、おしたてさせになったともいいました。
 こんどの王子の旅行は、おもてむき、おとなりの王国を見学《けんがく》にいかれるということになっているけれど、じつは王さまのお姫さまにあいにいくのだということでした。たくさんのおともの人数《にんず》もきまっていました。でも、人魚のひいさまは、つむりをふって、にっこりしていました。
 王子の心は、たれよりもよく、このひいさまに分かっているはずでした。
「ぼくは旅をしなければならないよ。」と、王子は人魚のひいさまにいいました。「きれいな王女のお姫さまにあいにいくのさ。おとうさまとおかあさまのおのぞみでね。だが、ぜひともそのお姫さまをぼくのおよめにもらって来いというのではないよ。だが、ぼくはそのお姫さまが好きにはなれまいよ。おまえがそれにそっくりだといった、あのお寺のきれいなむすめには似ていないだろうからね。そのうち、どうしてもおよめえらびをしなければならなくなったら、ぼくはいっそおまえをえらぶよ。口はきけないかわり、ものをいう目をもっている、ひろいむすめのおまえをね。」
 こういって、王子は、ひいさまのあかいくちびるにくちをつけました。それからながい髪の毛をいじって、その胸に顔をおしつけました。それだけでもうひいさまのこころには、人間にうまれた幸福と、死なないたましいのことが、夢のようにうかびました。
「でも、おしのひろいむすめさんは、海をこわがりはしないだろうね。」と、王子はいいました。そのとき、ふたりは、おとなりの王さまの国へ行くはずのりっぱな船の上にいました。それから王子に、海のしけ[#「しけ」に傍点]となぎ[#「なぎ」に傍点]のこと、海のそこのふしぎな魚のこと、そこで潜水夫《せんすいふ》のみて来ていることなどを、なにくれと話しました。でも、話のなかで、ひいさまはついほほえみかけました。そうでしょう、海のそこのことなら、たれがなんといったって、このひいさまにかなうものはないでしょうから。
 月のいい晩で、舵《かじ》の所に立っている舵とりひとりのこして、船のなかの人たちはみんな寝しずまっていました。人魚のひいさまは、船のへりに腰をかけて、澄んだ水のなかを、じっとながめていました。おとうさまの御殿が、そこにみえているようにおもわれました。御殿のいちばんの高殿《たかどの》には、おつむりに銀のかんむりをのせたおばあさまが立っていらしって、はやいうしおの流れをすかして、じいっとこちらの船の竜骨《りゅうこつ》をみ上げておいでになるようです。するうち、おねえさまたちが、波の上に出て来ました。そうして、かなしそうな顔で、こちらをみて、その白い手を、せつなそうにこすりました。
 ひいさまは、おねえさまたちにあいずして、にっこりわらいかけて、こちらは不足なくしあわせにしている話をしようとすると、そこへ、船のボーイがふしんらしく寄って来たので、おねえさまたちは水にもぐりました。それで、ボーイも、いま、ちらと白いものがみえたのは、海のあわであったかとおもって、それなりにしてしまいました。
 そのあくる朝、船はおとなりの王さまの国の、きらびやかな都の港にはいっていきました。町のお寺の鐘が、いっせいに鳴りだしました。そこここのたかい塔で、大らっぱを吹きたてました。そのなかで兵隊が、旗を立てて、銃剣をひからせて行列しました。
 さて、それからは、まいにち、なにかしらお祝ごとの催しがありました。舞踏会《ぶとうかい》だの、宴会だの、それからそれとつづきました。でも王さまのお姫さまは、まだすがたをみせません。うわさでは、どこかとおい所の、あるとうといお寺にあずけられていて、そこで王妃たるべき人のいっさいの道を、修めておいでになるということでした。するうち、そのお姫さまもやっとおかえりになりました。
 人魚のひいさまも、いったいどんなにうつくしいのか、はやくそのひとをみたいものだと、気にかかっていましたが、いまみて、いかにも人がらの優美《ゆうび》なのに、かんしんしずにはいられませんでした。はだはうつくしく透《す》きとおるようですし、ながいまっ黒なまつ毛の奥には、ふかい青みをもった、貞実《ていじつ》な目がやさしく笑《え》みかけていました。
「あなたでしたよ。」と、王子はいいました。「[#「「」は底本では欠落]そう、あなたでした。ぼくが死がいも同様で海岸にうち上げられていたとき、すくってくださったのは。」
 こう、王子はいつて、顔をあからめている花よめを、しっかり胸にかかえま
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