いでいって、岸に上がって、それをのむのだよ。すると、おまえさんのそのしっぽが消えてなくなって、人間がかわいい足と、名をつけているものにちぢまる。だが、ずいぶん痛かろうよ。それはちょうど、するどいつるぎを、からだにつッこまれるようだろうよ。さて、出あったものは、たれだって[#「たれだって」は底本では「だれたって」]、おまえさんのことを、こんなきれいな人間のむすめを見たことがないというだろう。おまえさんが浮くようにかるく足をはこぶところは、人間の踊り子にまねもできまい。ただ、ひと足ごとに、おまえさん、するどい刄物をふむようで、いまにも血がながれるかとおもうほどだろうよ。それをみんながまんするつもりなら、相談にのって上げる。」
「ええ、しますわ。」と、人魚のひいさまは、声をふるわせていいました。そうして、王子のことと、それから、死なないたましいのことを、しっかりとおもっていました。
「でも、おぼえておいで。」と、魔女はいいました。「おまえさんは、いちど人間のかたちをうけると、もう二どと人魚にはなれないのだよ。海のなかをくぐって、きょうだいたちのところへも、おとうさんの御殿へもかえることはできないし、それから王子の愛情にしても、もうおまえさんのためには、おとうさんのこともおかあさんのこともわすれて、あけてもくれてもおまえさんのことばかりを、かんがえていて、もうこの上は、お坊さんにたのんで、王子とおまえさんとふたりの手をつないで、晴れてめおととよばせることにするほかない、というところまでいかなければ、やはり、死なないたましいは、おまえさんのものにはならないのだよ。それがもしかちがって、王子がほかの女と結婚するようなことになると、もうそのあくる朝、お前さんの心臓《しんぞう》はやぶれて、おまえさんはあわになって海の上にうくのだよ。」
「かまいません。」と、人魚のひいさまはいいました。けれど、その顔は死人のように青ざめていました。
「ところで、おまえさん、お礼もたっぷりもらわなきゃならないよ。」と、魔女はいいました。「どうして、わたしののぞむお礼は、お軽少《けいしょう》なことではないよ。おまえさんは、この海の底で、だれひとりおよぶもののないうつくしい声をもっておいでだね。その声で、たぶん、王子をまよわそうとおもっているのだろう。ところが、その声をわたしはもらいたいのだよ。そのおまえさんのもっているいちばんいいものを、わたしのだいじな秘薬《ひやく》とひきかえにしようというのさ。なにしろそのくすりには、わたしだって、じぶんの血をまぜなくてはならないのだからね。それで、くすりにも、もろ刄のつるぎのようなするどいききめがあらわれようというものさ。」
「でも、あたし、声をあげてしまったら、」と、ひいさまは、いいました。「あとになにがのこるのでしょう。」
「なあに、まだ、そのうつくしいすがたが、」と、魔女はいいました。「それから、そのかるい、うくようなあるきつきが、それから、そのものをいう目があるさ。それだけで、りっぱに人間のこころをたぶらかすことはできようというものだ。はてね、勇気がなくなったかね。さあ、その舌をお出し、それを代金にはらってもらう。そのかわり、よくきくくすりをさし上げるよ。」
「ええ、そうしてください。」と、人魚のひいさまはいいました。そこで、魔女は、おなべを火にかけて、魔法ののみぐすりを煮はじめました。
「ものをきれいにするのは、いいことさ。」と、魔女はいって、へびをくるくるとむすびこぶにまるめて、それでおなべをみがきました。それからじぶんの胸をひっかいて、黒い血をだして、そのなかへたらしこみました。その湯気が、なんともいえないふしぎなきみのわるい形で、むくむくと立って、身の毛もよだつようでした。
 魔女はしじゅうそれからそれと、なにくれとおなべのなかへ投げ込んでいました。やがて、ぼこぼこ煮え立ってくると、それが*わにの泣き声に似た音を立てました。とうとう、のみぐすりが煮え上がりましたが、それはただ、すみ切った水のようにみえました。
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*わにはこどもの泣声に似た声をだしておびきよせるという西洋中世のいいつたえがある。
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「さあ、できましたよ。」と、魔女はいいました。
 そこで、のみぐすりをわたして、代りにひいさまの舌を切りました。もうこれで、ものもいえず、歌もうたえない、おしになったのです。
「もしか、かえりみちに、森のなかをとおって、さんご虫どもにつかまりそうになったらね。」と、魔女はいいました。「このくすりをたった一てきでいい、たらしておやり、そうすると、やつら、腕も指もばらばらになってとんでしまう。」
 けれど人魚のひいさまは、そんなことをしないでもすみました。さんご虫は、ひいさんの
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