いらっしゃるうち、あたし、海の魔女《まじょ》の所へ行ってみよう。いつもはずいぶんこわいのだけれど、でもきっと、あの女なら相談相手になって、いいちえをかしてくれるでしょう。」
そこで、人魚のひいさまは、花園をでて、ぶつぶつあわ立つうず巻の流れのなかへむかっていきました。このうず巻のむこうに、魔女のすまいがありました。こんな道をとおるのははじめてのことでした。そこには花も咲いていず、藻草《もぐさ》も生えていません。ただむきだしな灰いろの砂地が、うずのながれの所までつづいていて、そのながれはうなりを立てて、水車の車輪のようにくるりくるりまわっていました。そうして、このうず巻のなかにはいってくるものは、なんでもつかまえて、こなごなにくだいて、ふかいふちに引きこみました。このはげしいうずのながれの、しかもまん中をとおって行くほかに海の魔女の領分《りょうぶん》にはいる道はありませんし、それも、ながいあいだ、ぶつぶつ煮えて、あわだっているどろ沼をわたって行くよりほかに道はないのです。この沼を、[#「、」は底本では「。」]じぶんのすくも[#「すくも」に傍点]田という名で魔女はよんでいました。これを行きつくした奥に、きみのわるい森が茂っていて、そのなかに魔女の住居はありました。その森のなかの木立《こだち》もやぶも、半分は動物、半分は植物というさんご虫なかまで、それはいわば、百あたまのあるへびが、地のなかから、にょろにょろわき出ているようなものでした。その一本一本の枝が、ながい、ねばねばした腕で、くなくなと、さなだ虫のような指が出ていました。そうして下の根もとから枝のずっとさきまで、ふしぶしが自由にうごきました。ですから、海のなかで手につかめるものは、なんでもつかんで、しっかりとそれにからみついて放そうとはしません。人魚のひいさまは、すっかりおびえて、そのまえに立ちすくみました。もうおそろしくて、心臓《しんぞう》がどきどき波をうって、なんべんもそこから引きかえそうとおもいました。でもまた王子のことと、人間のたましいのことをおもうと、勇気がでました。ひいさまは、そこでまず、うるさくまつわるながい髪の毛を、しっかりあたまにまきつけて、さんご虫につかまらないようにしました。それから、両手を胸の上で重ねて、おさかなが水のなかをつういとつっきるように、いやらしいさんご虫どもが、くなくなした指と腕とをのばそうとしているなかをつっきって行きました。まあ、このいやな虫は、みると、そのひとつひとつが、そのつかんだものを、まるでつよい鉄の帯でしめつけるように、そのなん百とないちいさな腕で、ぎりぎりつかまえていました[#「いました」は底本では「いましに」]。海でおぼれて、このふかい底までしずんだ人間が、白骨になって、さんご虫の腕のあいだにちらちらみえていました。船のかいや箱のようなものまでも、さんご虫はしっかりつかまえていました。おかの動物のがい骨もありましたが、人魚のむすめがひとり、つかまってしめころされているのが、なかでもおそろしいことにおもわれました。
やがて、ひいさまは、森のなかの広場のぬるぬるすべる沼のような所へ来ました。そこには脂ぶとりにふとった水へびが、くねくねといやらしい白茶《しらちゃ》けた腹をみせていました[#「いました」は底本では「いましだ」]。この沼のまんなかに、難船した人たちの白骨でできた家がありました。その家に、海の魔女はすわっていて、一ぴきのひきがえるに、口うつしでたべさせているところでしたが、そのようすは、人間がカナリヤのひなにお砂糖をつつかせるのに似ていました。あのいやらしく、肥ぶとりした水へびを、魔女はまた、うちのひよっ子と名をつけて、じぶんのぶよぶよ大きな胸の上で、かってにのたくらせていました。
「ご用むきはわかっているよ。」と、海の魔女はいいました。「ばかなことかんがえているね。だが、まあ、したいようにするほかはあるまい、そのかわり、べっぴんのおひいさん、その男ではさぞつらいめをみることだろうよ。おまえさん。そのおさかなのしっぽなんかどけて、かわりに二本のつっかい棒をくっつけて、人間のようなかっこうであるきたいのだろう。それでわかい王子をつって、ついでに死なないたましいまで、手に入れようってのだろう。」
こういって、魔女はとんきょうな声をたてて、うすきみわるくわらいました。そのひびきで、かえるもへびも、ころころところげおちて、のたくりまわっていました。
「おまえさん、ちょうどいいときに来なすったよ。」と、魔女はいいました。「あしたの朝、日が出てしまうと、もうそのあとでは、また一年まわってくるまで、どうにもしてあげられないところだったよ。では、くすりを調合《ちょうごう》してあげるから、それをもって、日の出る前、おかの所までおよ
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