名スヴァルバルド)。
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「ああ、カイちゃんは、すきなカイちゃんは。」と、ゲルダはためいきをつきました。
「しずかにしなよ。しないと、ナイフをからだにつきさすよ。」と、おいはぎのこむすめがいいました。
 あさになって、ゲルダは、森のはとが話したことを、すっかりおいはぎのこむすめに話しました。するとむすめは、たいそうまじめになって、うなずきながら、
「まあいいや。どっちにしてもおなじことだ。」と、いいました。そして、
「おまえ、ラップランドって、どこにあるのかしってるのかい。」と、むすめは、となかいにたずねました。
「わたしほど、それをよくしっているものがございましょうか。」と、目をかがやかしながら、となかいがこたえました。「わたしはそこで生まれて、そだったのです。わたしはそこで、雪の野原を、はしりまわっていました。」
「ごらん。みんなでかけていってしまうだろう。おっかさんだけがうちにいる。おっかさんは、ずっとうちにのこっているのよ。でもおひるちかくなると、大きなびんからお酒をのんで、すこしのあいだ、ひるねするから、そのとき、おまえにいいことをしてあげようよ。」と、おいはぎのこむすめはゲルダにいいました。
 それから女の子は、ぱんと、ねどこからはねおきて、おっかさんのくびのまわりにかじりついて、おっかさんのひげをひっぱりながら、こういいました。
「かわいい、めやぎさん、おはようございます。」
 すると、おっかさんは、女の子のはなが赤くなったり紫色《むらさきいろ》になったりするまで、ゆびではじきました。
 でもこれは、かわいくてたまらない心からすることでした。
 おっかさんが、びんのお酒をのんで、ねてしまったとき、おいはぎのこむすめは、となかいのところへいって、こういいました。
「わたしはもっと、なんべんも、なんべんも、ナイフでおまえを、くすぐってやりたいのだよ。だって、ずいぶんおかしいんだもの、でも、もういいさ。あたい、おまえがラップランドへ行けるように、つなをほどいてにがしてやろう。けれど、おまえはせっせとはしって、この子を、この子のおともだちのいる、雪の女王のごてんへ、つれていかなければいけないよ。おまえ、この子があたいに話していたこと、きいていたろう。とても大きなこえで話したし、おまえも耳をすまして、きいていたのだから。」
 となかいはよろこんで、高くはねあがりました。その背中においはぎのこむすめは、ゲルダをのせてやりました。そして用心《ようじん》ぶかく、ゲルダをしっかりいわえつけて、その上、くらのかわりに、ちいさなふとんまで、しいてやりました。
「まあ、どうでもいいや。」と、こむすめはいいました。「そら、おまえの毛皮のながぐつだよ。だんだんさむくなるからね。マッフはきれいだからもらっておくわ。けれど、おまえにさむいおもいはさせないわ。ほら、おっかさんの大きなまる手ぶくろがある。おまえなら、ひじのところまで、ちょうどとどくだろう。まあ、これをはめると、おまえの手が、まるであたいのいやなおっかさんの手のようだよ。」と、むすめはいいました。
 ゲルダは、もううれしくて、涙《なみだ》がこぼれました。
「泣くなんて、いやなことだね。」と、おいはぎのこむすめはいいました。「ほんとは、うれしいはずじゃないの。さあ、ここにふたつ、パンのかたまりと、ハムがあるわ。これだけあれば、ひもじいおもいはしないだろう。」
 これらの品じなは、となかいの背中のうしろにいわえつけられました。おいはぎのむすめは戸をあけて、大きな犬をだまして、中にいれておいて、それから、よくきれるナイフでつなをきると、となかいにむかっていいました。
「さあ、はしって。そのかわり、その子に、よく気をつけてやってよ。」
 そのとき、ゲルダは、大きなまる手ぶくろをはめた両手を、おいはぎのこむすめのほうにさしのばして、「さようなら。」といいました。
 とたんに、となかいはかけだしました。木の根、岩かどをとびこえ、大きな森をつきぬけて、沼地や草原もかまわず、いっしょうけんめい、まっしぐらにはしっていきました。おおかみがほえ、わたりがらすがこえをたてました。ひゅッ、ひゅッ、空で、なにか音がしました。それはまるで花火があがったように。
「あれがわたしのなつかしい北極《オーロラ》光です。」と、となかいがいいました。「ごらんなさい。なんてよく、かがやいているでしょう。」
 それからとなかいは、ひるも夜も、前よりももっとはやくはしって行きました。
 パンのかたまりもなくなりました。ハムもたべつくしました。となかいとゲルダとは、ラップランドにつきました。
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  第六のお話

    ラップランドの女とフィンランドの女

[#挿絵(fig42387_06.png)入る]
 ちいさな、そまつなこやの前で、となかいはとまりました。そのこやはたいそうみすぼらしくて、屋根《やね》は地面《じめん》とすれすれのところまでも、おおいかぶさっていました。そして、戸口がたいそうひくくついているものですから、うちの人が出たり、はいったりするときには、はらばいになって、そこをくぐらなければなりませんでした。その家には、たったひとり年とったラップランドの女がいて、鯨油《げいゆ》ランプのそばで、おさかなをやいていました。となかいはそのおばあさんに、ゲルダのことをすっかり話してきかせました。でも、その前にじぶんのことをまず話しました。となかいは、じぶんの話のほうが、ゲルダの話よりたいせつだとおもったからでした。
 ゲルダはさむさに、ひどくやられていて、口をきくことができませんでした。
「やれやれ、それはかわいそうに。」と、ラップランドの女はいいました。「おまえたちはまだまだ、ずいぶんとおくはしって行かなければならないよ。百マイル以上も北の*フィンマルケンのおくふかくはいらなければならないのだよ。雪の女王はそこにいて、まい晩、青い光を出す花火をもやしているのさ。わたしは紙をもっていないから、干鱈《ひだら》のうえに、てがみをかいてあげよう。これをフィンランドの女のところへもっておいで。その女のほうが、わたしよりもくわしく、なんでも教えてくれるだろうからね。」
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*ノルウェーの北端、最低地方。
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 さてゲルダのからだもあたたまり、たべものやのみものでげんきをつけてもらったとき、ラップランドの女は、干鱈《ひだら》に、ふたことみこと、もんくをかきつけて、それをたいせつにもっていくように、といってだしました。ゲルダは、またとなかいにいわえつけられてでかけました。ひゅッひゅッ、空の上でまたいいました。ひと晩中、この上もなくうつくしい青色をした、極光《オーロラ》がもえていました。――さて、こうして、となかいとゲルダとは、フィンマルケンにつきました。そして、フィンランドの女の家のえんとつを、こつこつたたきました。だってその家には、戸口もついていませんでした。
 家の中は、たいへんあついので、その女の人は、まるではだか同様でした。せいのひくいむさくるしいようすの女でした。女はすぐに、ゲルダの着物や、手ぶくろや、ながぐつをぬがせました。そうしなければ、とてもあつくて、そこにはいられなかったからです。それから、となかいのあたまの上に、ひとかけ、氷のかたまりを、のせてやりました。そして、ひだら[#「ひだら」に傍点]にかきつけてあるもんくを、三べんもくりかえしてよみました。そしてすっかりおぼえこんでしまうと、スープをこしらえる大なべの中へ、たらをなげこみました。そのたら[#「たら」に傍点]はたべることができたからで、この女の人は、けっしてどんなものでも、むだにはしませんでした。
 さて、となかいは、まずじぶんのことを話して、それからゲルダのことを話しました。するとフィンランドの女は、そのりこうそうな目をしばたたいただけで、なにもいいませんでした。
「あなたは、たいそう、かしこくていらっしゃいますね。」と、となかいは、いいました。「わたしはあなたが、いっぽんのより糸で、世界中の風をつなぐことがおできになると、きいております。もしも舟のりが、そのいちばんはじめのむすびめをほどくなら、つごうのいい追風がふきます。二ばんめのむすびめだったら、つよい風がふきます。三ばんめと四ばんめをほどくなら、森ごとふきたおすほどのあらしがふきすさみます。どうか、このむすめさんに、十二人りきがついて、しゅびよく雪の女王にかてますよう、のみものをひとつ、つくってやっていただけませんか。」
「十二人りきかい。さぞ役にたつ[#「たつ」は底本では「たっ」]だろうよ。」と、フィンランド[#「フィンランド」は底本では「フィランド」]の女はくりかえしていいました。
 それから女の人は、たなのところへいって、大きな毛皮のまいたものをもってきてひろげました。それには、ふしぎなもんじがかいてありましたが、フィンランドの女は、ひたいから、あせがたれるまで、それをよみかえしました。
 でも、となかいは、かわいいゲルダのために、またいっしょうけんめい、その女の人にたのみました。ゲルダも目に涙をいっぱいためて、おがむように、フィンランドの女を見あげました。女はまた目をしばたたきはじめました。そして、となかいをすみのほうへつれていって、そのあたまにあたらしい氷をのせてやりながら、こうつぶやきました。
「カイって子は、ほんとうに雪の女王のお城にいるのだよ。そして、そこにあるものはなんでも気にいってしまって、世界にこんないいところはないとおもっているんだよ。けれどそれというのも、あれの目のなかには、鏡のかけらがはいっているし、しんぞうのなかにだって、ちいさなかけらがはいっているからなのだよ。だからそんなものを、カイからとりだしてしまわないうちは、あれはけっしてまにんげんになることはできないし、いつまでも雪の女王のいうなりになっていることだろうよ。」
「では、どんなものにも、うちかつことのできる力になるようなものを、ゲルダちゃんにくださるわけにはいかないでしょうか。」
「このむすめに、うまれついてもっている力よりも、大きな力をさずけることは、わたしにはできないことなのだよ。まあ、それはおまえさんにも、あのむすめがいまもっている力が、どんなに大きな力だかわかるだろう。ごらん、どんなにして、いろいろと人間やどうぶつが、あのむすめひとりのためにしてやっているか、どんなにして、はだしのくせに、あのむすめがよくもこんなとおくまでやってこられたか。それだもの、あのむすめは、わたしたちから、力をえようとしてもだめなのだよ。それはあのむすめの心のなかにあるのだよ。それがかわいいむじゃきなこどもだというところにあるのだよ。もし、あのむすめが、自分で雪の女王のところへ、でかけていって、カイからガラスのかけらをとりだすことができないようなら、まして、わたしたちの力におよばないことさ。もうここから二マイルばかりで、雪の女王のお庭の入口になるから、おまえはそこまで、あの女の子をはこんでいって、雪の中で、赤い実《み》をつけてしげっている、大きな木やぶのところに、おろしてくるがいい。それで、もうよけいな口をきかないで、さっさとかえっておいで。」
 こういって、フィンランドの女は、ゲルダを、となかいのせなかにのせました。そこで、となかいは、ぜんそくりょくで、はしりだしました。
「ああ、あたしは、長ぐつをおいてきたわ。手ぶくろもおいてきてしまった。」と、ゲルダはさけびました。
 とたんに、ゲルダは身をきるようなさむさをかんじました。でも、となかいはけっしてとまろうとはしませんでした。それは赤い実《み》のなった木やぶのところへくるまで、いっさんばしりに、はしりつづけました。そして、そこでゲルダをおろして、くちのところにせっぷんしました。
 大つぶの涙が、となかいの頬《ほお》を流れました。それから、となかいはまた、いっさんばしりに、はしっていってし
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