ている。なにをみてもはっきりわかるし、生き生きとものをかんじている。でも、あしたになっておもいだしたら、ずいぶんばかげているにちがいない。せんにもよくあったことだ。夢のなかでいろいろと賢いことやりっぱなことをいったり、きいたりするものだ。それは地の下の小人《こびと》の金《きん》のようなものだ。それを受けとったときには、たくさんできれいな金にみえるが、あかるい所でみると、石ころか枯ッ葉になってしまう。やれ、やれ。」
書記は、さもつまらなそうにため[#「ため」に傍点]息をついて、枝から枝へ、愉快そうにとびまわって、ちいちいさえずっている小鳥をながめました。
「小鳥はわたしよりずっとよくくらしている。とぶということは、なにしろたいしたわざだ。つばさをそなえてうまれたものはしあわせだ。そうだな。わたしがもしなにか人間でないものに変れるならかわいいひばりになりたいものだ。」
こういうが早いか、書記の服のせなかに、両そでがびったりくっついて、つばさになりました。着物は羽根になり、うわおいぐつはつめ[#「つめ」に傍点]になりました。書記はじぶんのずんずん変っていくすがたをはっきりみながら、心のなかでわらいました。「なるほど、これでいよいよ夢をみていることがわかる。だが、わたしはまだこんなおもいきってばかげた夢をみたことはないぞ。」こういって、ひばりになった書記は、みどりの枝のなかをとびまわってうたいました。
もう、その歌に詩はありません。詩人の気質はなくなってしまったのです。このうわおいぐつは、なんでもものごとをつきつめてするひとのように、[#「、」は底本では「。」]一│時《じ》にひとつのことしかできません。詩人になりたいというと、詩人になりました。こんどは小鳥になりたいというと、小鳥になりました。とたんに詩人の心は消えました。
「こいつは実におもしろいぞ。」と、書記はとびながら、なおかんがえつづけました。「わたしは昼間、役所につとめて、石のように堅い椅子に腰をかけて、おもしろくないといって、およそこの上ない法律書類のなかに首をつッこんでいる。夜になると夢をみて、ひばりになって、フレデリクスベルグ公園の木のなかをとびまわる。こりゃあ、りっぱに大衆喜劇の種《たね》になる。」
そこで、書記のひばりは草のなか[#「なか」は底本では「なが」]に舞いおりて、ほうぼうに首をむけて、草の茎をくちばしでつつきました。それはいまのじぶんの大きさにくらべては、北アフリカのしゅろ[#「しゅろ」に傍点]の枝ほどもありそうでした。
すると、だしぬけにまわりがまっ暗やみになってしまいました。なにか大きなものが、上からかぶさって来たようにおもわれました。これはニュウボデルから来た船員のこどもが、大きな帽子を小鳥の上に投げかけたものでした。やがて下からぬっ[#「ぬっ」に傍点]と手がはいって来て、書記のひばりのせなかとつばさをひどくしめつけたので、おもわずぴいぴい鳴きました。そして、びっくりした大きな声で「このわんぱく小僧め、おれは警察のお役人だぞ。」とどなりました。けれどもこどもには、ただぴいぴいときこえるだけでした。そこでこの男の子は鳥のくちばしをたたいて、つかんだままほうぼうあるきまわりました。
やがて、並木道《なみきみち》で、男の子はほかのふたりのこどもに出あいました。身分をいう人間の社会では、いい所のこどもというのですが、学校では精紳がものをいうので、ごく下の級に入れられていました。このこどもたちが、シリング銀貨二、三枚で小鳥を買いました。そこで、ひばりの書記は、またコペンハーゲンのゴーテルス通のある家へつれてこられることになりました。
「夢だからいいようなものだが。」と、書記はいいました。「さもなければ、おれはほんとうにおこってしまう。はじめに詩人で、こんどはひばりか。しかもわたしを小鳥にかえたのは、詩人の気質がそうしたのだよ。それがこどもらの手につかまれるようになっては、いかにもなさけない。このおしまいは、いったいどうなるつもりか、見当がつかない。」
やがて、こどもたちはひばりをたいそうりっぱなおへやにつれこみました。ふとったにこにこした奥さまが、こどもたちをむかえました。この子たちのおかあさまでしたろう。けれども、このおかあさまは、ひばりのことを「下等な野そだちの鳥」とよんで、そんなものをうちのなかへ入れることをなかなかしょうちしてくれません。やっとたのんで、ではきょう一日だけということで許してもらえました。で、ひばりは窓のわきにある、からッぽなかごのなかに入れられなければなりませんでした。「おうむちゃん、きっと、うれしがるでしょうよ。」と、奥さまはいって、上のきれいなしんちゅうのかごのなかの輪で、お上品ぶってゆらゆらしている大きなおうむにわらいかけました。
「きょうはおうむちゃんのお誕生日だったねえ。」と、奥さまはあまやかすようにいいました。「だから、このちっぽけな野そだちの鳥もお祝をいいに来たのだろうよ。」
おうむちゃんはこれにひとことも返事をしませんでした。ただお上品ぶってゆらゆらしていました。すると、去年の夏、あたたかい南の国のかんばしい林のなかから、ここへつれてこられた、かわいらしいカナリヤが、たかい声で歌をうたいはじめました。
「やかましいよ。」と、奥さまはいいました。そうして白いハンケチを鳥かごにかけてしまいました。
「ぴい、ぴい。」と、カナリヤはため息をつきました。「おそろしい雪おろしになって来たぞ。」こういってため息をつきながら、だまってしまいました。
書記は、いや、奥さまのおっしゃる下等な野そだちの鳥は、カナリヤのすぐそばのちいさなかごに入れられました。おうむからもそう遠くはなれてはいませんでした。このおうむちゃんのしゃべれる人間のせりふはたったひとつきり、それは、「まあ、人になることですよ。」というので、それがずいぶんとぼけてきこえるときがありました。そのほかに、ぎゃあぎゃあいうことは、カナリヤの歌と同様、人間がきいてもまるでわけがわかりませんでした。ただ書記だけは、やはり小鳥のなかまにはいったので、いうことはよくわかりました。
「わたしはみどりのしゅろ[#「しゅろ」に傍点]の木や、白い花の咲くあんず[#「あんず」に傍点]の木の下をとんでいたのだ。」と、カナリヤがうたいました。「わたしは男のきょうだいや女のきょうだいたちと、きれいな花の咲いた上や、鏡のようにあかるいみどりの上をとんでいたのだ。みずうみの底には、やはり草や木が、ゆらゆらゆられていた。それからずいぶん、ながいお話をたくさんしてくれるきれいなおうむさんにもあった。」
「ありゃ野そだちの鳥よ。」と、おうむがこたえました。「あれらはなにも教育がないのだ。まあ人になることですよ。おまえ、なぜわらわない。奥さんやお客さんたちがわらったら、おまえもわらう。娯楽に趣味をもたないのは欠点です。まあ人になることですよ。」
「おまえさん、おぼえているでしょう。花の咲いた木の下に、天幕を張って、ダンスをしたかわいらしいむすめたちのことを、野に生えた草のなかに、あまい実がなって、つめたい汁の流れていたことを。」
「うん、そりゃ、おぼえている。」と、おうむがこたえました。「だが、ここのお内で、ぼくはもっといいくらしをしているのだ。ごちそうはあるし、だいじに扱われている。この上ののぞみはないのさ。まあ、人になることですよ。きみは詩人のたましいとかいうやつをもっている。ぼくはなんでも深い知識ととんちをもっている。きみは天才はあるが、思慮《しりょ》がないよ。持ってうまれた高調子で、とんきょうにやりだす、すぐ上からふろしきをかぶされてしまうのさ。そこはぼくになるとちがう。どうしてそんな安ッぽいのじゃない。この大きなくちばしだけでも、威厳《いげん》があるからな。しかもこのくちばしで、とんち[#「とんち」に傍点]をふりまいて人をうれしがらせる。まあ、人になることですよ。」
「ああ、わがなつかしき、花さく熱帯の故国よ。」とカナリヤがうたいました。「わたしはあのみどりしたたる木立と、鏡のような水に枝が影をうつしている静かな入江をほめたたえよう。『沙漠《さばく》の泉の木』が茂って、そこにうつくしくかがやくきょうだいの鳥たちのよろこびをほめたたえよう。」
「さあ、たのむから、もうそんななさけない声を出すのはよしておくれ。」と、おうむがいいました。
「なにかわらえるようなことをうたっておくれ。わらいはいとも高尚な心のしるしだ。犬や馬がわらえるかね。どうだ。どうして、あれらはなくだけです。わらいは人にだけ与えられたものだ。ほッほッほ。」
こうおうむはわらってみせて、「まあ、人になることですよ。」とむすびました。
「もし、もし、そこに灰色しているデンマルクの小鳥さん。」と、カナリヤがひばりに声をかけました。「きみもやはり囚人《しゅうじん》になったんだな。なるほど、きみの国の森は寒いだろう。だが、そこにはまだ自由がある。とびだせ。とびだせ。きみのかごの戸はしめるのを忘れている。上の窓はあいているぞ。逃げろ、逃げろ。」
カナリヤがこういうと、書記はついそれにのって、すうとかどをとびだしました。そのとたん、となりのへやの、半分あいた戸がぎいと鳴ると、みどり色した火のような目の飼いねこがしのんで来ました。そうして、いきなりひばりを追っかけようとしました、カナリヤはかごのなかをとびまわりました。おうむもつばさをばさばさやって「まあ、人になることですよ。」とさけびました。書記は、もう死ぬほどおどろいて、窓から屋根へ往来へとにげました。とうとうくたびれて、すこし休まなければならなくなりました。
すると、むこうがわの家が、住み心地のよさそうなようすをしていました。窓がひとつあけてあったので、[#「、」は底本では「。」]そこからつういととび込むと、そこはじぶんのへやの書斎でした。ひばりはそこのつくえの上にとびおりました。
「まあ、人になることですよ。」と、ひばりはついおうむの口まねをしていいました。そのとたんに、書記にもどりました。ただつくえの上にのっかっていました。
「やれ、やれおどろいた。」と、書記はいいました。「どうしてこんな所にのっかっているのだろう。しかもひどく寝込んでしまって、なにしろおちつかない夢だった。しまいまで、くだらないことばかりで、じょうだんにもほどがある。」
[#改ページ]
六 うわおいぐつのさずけてくれたいちばんいい事
[#挿絵(fig42380_06.png)入る]
明くる日、朝早く、書記君まだ寝床にはいっていますと、戸をこつこつやる音がきこえました。それはおなじ階でおとなり同士の若い神学生で、はいって来てこういいました。
「きみのうわおいぐつを貸してくれたまえ。」と、学生はいいました。「庭はひどくしめっているけれど、日はかんかん照っている。おりていって、一服やりたいとおもうのだよ。」
学生にうわおいぐつをはいて、まもなく庭へおりました。庭にはすももの木となしの木がありました。これだけのちょっとした庭でも、都のなかではどうして大したねうちです。
学生は庭の小みちをあちこちあるきまわりました。まだやっと六時で、往来には郵便馬車のラッパがきこえました。
「ああ、旅行。旅行。」と、学生はさけびました。「これこそ、この世のいちばん大きな幸福だ。これこそぼくの希望のいちばんたかい目標だ。旅に出てこそぼくのこの不安な気持が落ちつく、だが、ずっととおくではなければなるまい。うつくしいスウィスがみたい。イタリアへいきたい――」
いや、うわおいぐつがさっそくしるしをみせてくれたことは有りがたいことでした。さもないと、じぶんにしても、他人のわたしたちにしても、始末のわるい遠方までとんでいってしまうところでした。さて、学生は旅行の途中です。スウィスのまんなかで、急行馬車に、ほかの八人の相客といっしょにつめこまれていました。頭痛がして、首がだるくて、足は血が下がってふくれた上をき
前へ
次へ
全7ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
楠山 正雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング