った肉屋の店を、四つんばいになってはいあるきました。ここは肉ばかりでした。どこまでいっても、肉のほかなにもありませんでした。これはお金持のりっぱな紳士《しんし》の心でした。おそらく、この人の名まえは紳士録にのっているでしょう。
 こんどはその紳士の奥さまの心のなかにはいりました。その心は、古い荒れはてたはと[#「はと」に傍点]小屋でした。ごていしゅの像がほんの風見《かざみ》のにわとり代りにつかわれていました。その風見は、小屋の戸にくっついていて、ごていしゅの風見がくるりくるりするとおりに、あいたりとじたりしました。
 それからつぎには、ローゼンボルのお城でみるような鏡の間《ま》にでました。でもこの鏡は、うそらしいほど大きくみせるようにできていました。床《ゆか》のまんなかには、達頼喇嘛《ダライラマ》のように、その持主のつまらない「わたし」が、じぶんでじぶんの家の大きいのにあきれながらすわっていました。
 それからこんどは、針がいっぱいつんつんつッたっている、せまい針箱のなかにはこばれました。これはきっと年をとっておよめにいけないむすめの心にちがいないとおもいました。けれど、じつはそうではありません。たくさん勲章をぶら下げている若い士官の心でした。しかし、世間ではこの人を才と情のかねそなわった人物だといっていました。
 あわれな助手は、列のいちばんおしまいの人の心からぬけだしたとき、すっかりあたまがへんになっていて、まるでかんがえがまとまりませんでした。やたらとはげしいもうぞう[#「もうぞう」に傍点]が、じぶんといっしょにかけずりまわったのだとおもいました。
「やれやれ、おどろいた。」と、助手はため[#「ため」に傍点]息をつきました。「おれはどうも気ちがいになるうまれつきらしい。それに、ここは、むやみと暑い。血があたまにのぼるわけさ。」
 そこで、ふとゆうべの、病院の鉄さくにあたまをはさまれた大事件をおもいだしました。
「きっとあのとき病気にかかったにちがいない。」と、助手はおもいました。「すぐどうかしなければならない。ロシア風呂《ぶろ》がきくかも知れない。ならば一等上のたなにねたいものだ。」
 するともう、さっそくに蒸風呂《むしぶろ》のいちばん上のたなにねていました。ところで、着物を着たなり、長ぐつも、うわおいぐつもそのままでねていました。天井《てんじょう》からあついしずくが、ぽた、ぽた、顔に落ちて来ました。
「うわあ。」と、とんきょう[#「とんきょう」は底本では「とんきょと」]にさけんで、こんどは灌水浴《かんすいよく》をするつもりで下へおりました。
 湯番は着物を着こんだ男がとびだしたのをみてびっくりして、大きなさけび声をたてました。
 でも、そういうなか[#「なか」は底本では「な声」]で、助手は、湯番の耳に、
「なあにかけ[#「かけ」に傍点]をしているのだよ。」と、ささやくだけの余裕《よゆう》がありました。さて、へやにかえってさっそくにしたことは、首にひとつ、背中にひとつ、大きなスペイン発泡膏《はっぽうこう》をはることでした。これでからだのなかの気ちがいじみた毒気を吸いとろうというわけです。
 明くる朝、助手は、赤ただれたせなかを[#「せなかを」は底本では「せなをか」]していました。これが幸福のうわおいぐつからさずけてもらった御利益《ごりやく》のいっさいでした。
[#改ページ]

   五 書記の変化《へんげ》

[#挿絵(fig42380_05.png)入る]
 さて、わたしたちがまだ忘れずにいたあの夜番は、そのうち、じぶんがみつけて、病院までもはいていったうわおいぐつのことをおもいだしました。そこで、とってかえりましたが、むこう二階の中尉にも、町のたれかれにきいても、持主は、わかりませんでしたから、警察へとどけました。
「これはわたしのうわおいぐつにそっくりだ。」と、この拾得物《しゅうとくぶつ》をみた書記君のひとりがいって、じぶんのと並べてみました。「どうして、くつ屋でもこれをみわけるのはむずかしかろう。」
「書記さん。」と、そのとき小使が書類をもってはいって来ました。
 書記はふりむいてその男と話をしていました。話がすむと、またうわおいぐつのほうへむかいましたが、もうそのときは、右か左かじぶんのがわからなくなってしまいました。
「しめっているほうがわたしのにちがいない。」と、書記君はおもいました。でも、これはかんがえちがいでした。なぜなら、そのほうが幸福のうわおいぐつだったのです。だって警察のお役人だって、まちがわないとはかぎらないでしょう。で、すましてそれをはいて、書類をかくしにつッこみました。それからあとは小わきにかかえました。これを内へかえって読んで、コピイ(副本)をつくらなければならないのです。ところで、その日は日曜の朝で、いいお天気でした。ひとつ、フレデリクスベルグへでもぶらぶらでてみるかな、とかんがえて、そちらに足をむけました。
 さて、この青年ぐらい、おとなしい、堅人《かたじん》はめったにありません。すこしばかりの散歩を、この人がするのは、さんせいですよ。ながく腰をかけ通していたあとで、きっとからだにいいでしょう。はじめのうち、この人もただぽかんとしてあるいていました。そこで、うわおいぐつも魔法をつかう機会がありませんでした。
 公園の並木道《なみきみち》にはいると、書記はふとお友だちの、若い詩人にであいました。詩人は、あしたから旅にでかけるところだと話しました。
「じゃあ、もうでかけるのかい。」と、書記はうらやましそうにいいました。「なんて幸福な自由な身の上だろう。いつどこへでも、好きなところへとんでいけるのだ。われわれと来ては、足にくさりをつけられているのだからね。」
「だが、そのくさりはパンの木にゆいつけてあるのだろう。」と、詩人はいいました。「そのかわりくらしの心配はいらないのだ。年をとれば、恩給がもらえるしな。」
「やはりなんといっても、きみのほうがいいくらしをしているよ。」と、書記がいいました。「うちにすわって詩を書いているというのは、楽しみにちがいない。それで世間からはもてはやされる。おれはおれだでやっていける。まあ、きみ、いちどためしにやってみたまえ。こまごました役所のしごとに首をつっこんでいるということが、どんなことだかわかるから。」
 詩人はあたまをふりました。書記も同様にあたまをふりました。てんでにじぶんじぶんの意見をいい張って、そのままふたりは別れました。
「どうも詩人というものはきみょうななかまだな。」と、書記はおもいました。「わたしもああいう人間の心持になってみたいものだ。じぶんで詩人になってみたいものだ。わたしなら、むろん、あの連中のように泣言をならべはしないぞ……ああ、詩人にとってなんてすばらしい春だろう。あんなにも空気は澄み、雲はあくまでうつくしい。わか葉の緑にかおりただよう。そうだ、もうなん年にも、このしゅんかんのような気持をわたしは知らなかった。」
 これで、もうこの書記は、さっそく、詩人になっていたことがわかります。べつだん目につくほどのことはありません。いったい詩人とほかの人間とでは、うまれつきからまるでちがっているようにかんがえるのは、ばかげたことです。ただの人で詩人と名のっているたいていの人間よりも、もっと詩人らしい気質の人がいくらもあるのです。ただまあ詩人となれば、おもったこと感じたことをよくおぼえていて、それをはっきりと、言葉に書きあらわすだけの天分がある、そこらがちがうところです。でも、世間なみの気質から詩人の天分にうつるというのは、やはり大きなかわり方にちがいないので、それをいま、この書記君がしているのです。
「なんとすばらしい匂だ。」と、書記はいいました。「ローネおばさんのすみれの花をおもい出させる。そう、あれはわたしのこどものじぶんだった。はてね、ながいあいだおもいだしもしずにいたのだがな。いいおばさんだったなあ。おばさんは取引所のうしろに住んでいた。いつも木の枝か青いわか枝をだいじそうに水にさして、どんな冬の寒いときでも、あたたかいへやのなかにおいた。ほっこりとすみれが花をひらいているわきで、わたしは凍った窓ガラスに火であつくした銅貨をおしつけて、すきみの穴をこしらえたものだ。あれはおもしろい見物だった。そとの掘割には船が氷にとじられていた。乗組はみんなどこかへいっていて、からすが一羽のこってかあかあないていた。やがて春風がそよそよ吹きそめると、なにかが生き生きして来た。にぎやかな歌とさけび声のなかに、氷がこわされる。船にタールがぬられて、帆綱のしたくができると、やがて知らない国へこぎ出していってしまう。でも、わたしはいつまでもここにのこっている。年がら年じゅう警察のいすに腰をかけて、ひとが外国行の旅券を受け取っていくのをながめている、これがわたしの持ってうまれた運なのだ。うん、うん、どうも。」
 こうおもって、書記はふかいため息をつきましたが。ふと、気がついて、
「はて、おかしいぞ。わたしは、いったいどうしたというのだろう。いつもこんなふうに、かんがえたり感じたりしたことはなかったのに。きっと心のなかに春風が吹き込んだのかな。なにかやるせないようで、そのくせいい気持だ。」
 こうおもいながらなにげなくかくし[#「かくし」に傍点]のなかの紙に手をふれました。「いけない。これがせっかくのかんがえをほかにむけさせるのだ。」書記はそういいながらはじめの一枚にふと目をさらしますと、それはこう読まれました。「『ジグブリット夫人、五幕新作悲劇』おやおや、これはなんだ。しかもこれはわたしの手だぞ。わたしはいつこんな悲劇《ひげき》なんて書いたろう。軽喜歌劇散歩道の陰謀 一名懺悔祈祷日。はてね、どこでこんなものをもらったろう。たれかいたずらに、かくしに入れたかな。おやおや、ここに手紙があるぞ。」
 いかにもそれは劇場の支配人から来たものでした。あなたのお作は上場いたしかねますと、それもいっこう礼をつくさない書きぶりで書いてありました。
「ふん、ふん。」こう書記はつぶやきながら、腰掛に腰をおろしました。なにか心がおどって、生きかえったようで、気分がやさしくなりました。ついすぐそばの花をひとつ手につみました。それはつまらない、ちいさなひなぎくの花でした。植物学者が、なんべんも、なんべんも、[#「、」は底本では「。」]お講義を重ねて、やっと説明することを、この花はほんの一分間に話してくれました。それはじぶんの生いたちの昔話もしました。お日さまの光がやわらかな花びらをひらかせ、いい匂を立たせてくださる話もしました。そのとき、書記は、「いのちのたたかい」ということを、ふとおもいました。これもやはりわたしたちの心を動かすものでした。
 空気と光は花と仲よしでした。それでも光がよけいすきなので、いつも光のほうへ、花は顔をむけました。ただ光が消えてしまったとき、花は花びらをまるめて、空気に抱かれながら眠りました。
「わたしを飾ってくれるのは、光ですよ。」と、花はいいました。
「でも、空気はおまえに息をさせてくれるだろう。」と、詩人の声がささやきました。
 すると、すぐそばに、ひとりの男の子が、溝川《どぶかわ》の上を棒でたたいていました。にごった水のしずくが緑の枝の上にはねあがりました。すると、書記はそのしずくといっしょにたかく投げあげられたなん万という目にみえないちいさい生き物のことをおもいました。それは、からだの大きさの割合からすると、ちょうどわたしたちが雲の上まで高く投げられたと同じようなものでしょうか。そんなことを書記はおもいながら、だんだんかわっていくじぶんをおかしく感じました。
「どうも眠って夢をみているのだな。だが、ふしぎなことにはちがいない。そんなにまざまざ夢をみていて、しかも夢のなかで、それが夢だと知っているのだからな。どうかして夢にみたことをのこらず、あくる日目がさめてもおぼえていられたらいいだろう。どうもいつもとちがって、気分がみょうにうかれ
前へ 次へ
全7ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
楠山 正雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング