ふるえ出《だ》してしまいました。
「ああ、ごめんなさい、すぐは困《こま》る。しばらくお待《ま》ち下《くだ》さい。」
大工《だいく》は泣《な》くようにいって、あわててそこを逃《に》げ出《だ》しました。
三
逃《に》げ出《だ》したものの、どうする当《あ》てもないので、今《いま》にも鬼《おに》が追《お》っかけて来《く》るかとはらはらしながら、川の岸《きし》をはなれて山の方《ほう》へどんどん逃《に》げて行《い》きました。
逃《に》げ出《だ》して、山の中をあてもなくうろうろ歩《ある》いていますと、どこか遠《とお》くの林《はやし》の中から、子供《こども》の歌《うた》う声《こえ》がしました。やがてその声《こえ》はだんだん近《ちか》くなって、つい聞《き》くともなしに、耳《みみ》にはいってきたのは、こういう歌《うた》でした。
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鬼六《おにろく》どうした、
橋《はしょ》かけた。
かけたらほうびに、
目玉《めえだま》、早《はよ》もって来《こ》い。
[#ここで字下げ終わり]
この歌《うた》を聞《き》いて、大工《だいく》はほっとしました。そうして生《い》き返《かえ》ったように、元気《げんき》をとりもどして、宿屋《やどや》に帰《かえ》って寝《ね》ました。
その明《あ》くる日、大工《だいく》がまた川へ出ると、鬼《おに》はさっそく出て来《き》て、
「さあ、すぐ、目玉《めだま》をよこせ。」
といいました。
「まあしばらくお待《ま》ちください。どうもこの目をとられては、あしたから大工《だいく》の商売《しょうばい》ができません。かわいそうだとおぼしめして、何《なに》かほかのお礼《れい》でごかんべん願《ねが》います。」
こう大工《だいく》がいうと、鬼《おに》はおこって、
「何《なん》といういくじのないやつだ。じゃあためしにおれの名《な》を当《あ》ててみろ。うまく言《い》い当《あ》てたら、かんべんしてやらないものでもない。」
といいました。
そこで大工《だいく》は、わざとまずでたらめに、
「大江山《おおえやま》の酒顛童子《しゅてんどうじ》。」
というと、鬼《おに》はあざ笑《わら》って、
「ちがう、ちがう。」
と首《くび》を振《ふ》りました。そこでまたでたらめに、
「愛宕山《あたごやま》の茨木童子《いばらきどうじ》。」
というと、鬼《おに》はよけいおもしろそうに、
「ちがう、ちがう。」
といって笑《わら》いました。
それから、まだいくつも、いくつも、でたらめな名《な》をいって、鬼《おに》がだんだん飽《あ》きて、こわい目玉《めだま》をむいて、今《いま》にも飛《と》びかかって来《き》そうになったとき、大工《だいく》はありったけの大きな声《こえ》を張《は》り上《あ》げて、
「鬼六《おにろく》。」
とどなりました。
「ちぇッ。山の神《かみ》に教《おそ》わったか。」
こういったとたん、ふっと鬼《おに》の姿《すがた》は消《き》えて無《な》くなりました。
底本:「日本の諸国物語」講談社学術文庫、講談社
1983(昭和58)年4月10日第1刷発行
入力:鈴木厚司
校正:大久保ゆう
2003年8月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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