ました。今若《いまわか》はそのあとからついて行きました。
 さんざん難儀《なんぎ》をして、清盛《きよもり》のいる京都《きょうと》の六波羅《ろくはら》のやしきに着《つ》くと、常磐《ときわ》は、
「おたずねになっている常磐《ときわ》でございます。三|人《にん》の子供《こども》をつれて出ました。わたくしは殺《ころ》されてもようございますから、母《はは》の命《いのち》をお助《たす》け下《くだ》さいまし。子供《こども》たちもこの通《とお》り小《ちい》さなものばかりでございますから、命《いのち》だけはどうぞお助《たす》け下《くだ》さいまし。」
 と申《もう》しました。
 親子《おやこ》のいたいたしい様子《ようす》を見《み》ると、さすがの清盛《きよもり》も気《き》の毒《どく》に思《おも》って、その願《ねが》いを聞《き》きとどけてやりました。
 それで今若《いまわか》と乙若《おとわか》とは命《いのち》だけは助《たす》かって、お寺《てら》へやられました。牛若《うしわか》はまだお乳《ちち》を飲《の》んでいるので、おかあさんのそばにいることを許《ゆる》されましたが、これも七つになると鞍馬山《くらまやま》のお寺《てら》へやられました。
 そのうち牛若《うしわか》はだんだん物《もの》がわかって来《き》ました。おとうさんが平家《へいけ》のために滅《ほろ》ぼされたことを人から聞《き》いて、くやしがって泣《な》きました。
「毎日《まいにち》お経《きょう》なんかよんで、坊《ぼう》さんになってもしかたがない。おれは剣術《けんじゅつ》をけいこして、えらい大将《たいしょう》になるのだ。そして平家《へいけ》を滅《ほろ》ぼして、おとうさまのかたきを討《う》つのだ。」
 こう牛若《うしわか》は思《おも》って、急《きゅう》に剣術《けんじゅつ》が習《なら》いたくなりました。
 鞍馬山《くらまやま》のおくに僧正《そうじょう》ガ谷《たに》という谷があります。松《まつ》や杉《すぎ》が茂《しげ》っていて、昼《ひる》も日の光《ひかり》がささないような所《ところ》でした。牛若《うしわか》は一人《ひとり》で剣術《けんじゅつ》をやってみようと思《おも》って、毎晩《まいばん》人が寝《ね》しずまってから、お寺《てら》をぬけ出《だ》して僧正《そうじょう》ガ谷《たに》へ行きました。そしてそこにたくさん並《なら》んでいる杉《すぎ》の木を平家
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