、自分の無罪《むざい》を証拠《しょうこ》だてることができるであろうか。マチアとボブとは、わたしが現場《げんじょう》にいなかったという証人《しょうにん》になって、わたしを助けることができようか。かれらがこれを証明《しょうめい》することさえできたら、あのあわれな犬が、わたしのためにつごう悪く提供《ていきょう》した無言《むごん》の証明があるにかかわらず、放免《ほうめん》になるかもしれない。看守《かんしゅ》が食べ物を持って来たとき、わたしは判事《はんじ》の前へ出るのは、手間がとれようかと聞いた。わたしはそのときまで、イギリスでは、拘引《こういん》されたあくる日、裁判所《さいばんしょ》へ呼《よ》ばれるということを知らなかった。親切な人間らしい看守は、きっとそれはあしただろうと言った。
わたしは囚人《しゅうじん》が差《さ》し入《い》れの食べ物の中に、よく友だちからの内証《ないしょう》のことづけを見つけるという話を聞いていた。わたしは食べ物に手がつかなかったが、ふと思いついて、パンを割《わ》り始めた。わたしは中になにも見つけなかった。パンといっしょについていたじゃがいもをも粉《こな》ごなにくずしてみたが、ごくちっぽけな紙きれをも見つけなかった。
わたしはその晩《ばん》ねむられなかった。つぎの朝|看守《かんしゅ》は水のはいったかめと金だらいを持って、わたしの部屋《へや》にはいって来た。かれは顔を洗《あら》いたければ洗えと言って、これから判事《はんじ》の前へ出るのだから、身なりをきれいにすることは損《そん》にはならないと言った。しばらくしてまた看守《かんしゅ》はやって来て、あとについて来いと言った。わたしたちはいくつかろうかを通って、小さなドアの前へ来ると、かれはそのドアを開けた。
「おはいり」とかれは言った。
わたしのはいった部屋《へや》はたいへんせま苦しかった。おおぜいのわやわやいうつぶやきをも聞いた。わたしのこめかみはぴくぴく波を打って、ほとんど立っていることができないくらいであったが、そこらの様子を見ることはできた。
部屋は大きな窓《まど》と、高い天井《てんじょう》があって、りっぱな構《かま》えであった。判事《はんじ》は高い台の上にこしをかけていた。その前のすぐ下には、ほかの三人の裁判官《さいばんかん》がこしをかけていた。そのそばにわたしは法服《ほうふく》を着て、かつらをかぶった紳士《しんし》といっしょにならんだ。これがわたしの弁護士《べんごし》であることを知って、わたしはおどろいた。どうして弁護士ができたろう。どこからこの人はやって来たのだろう。
証人《しょうにん》の席《せき》には、ボブと二人の仲間《なかま》、「大がしの宿屋《やどや》」の亭主《ていしゅ》、それからわたしの知らない二、三人の人がいた。それから向《む》こう側《がわ》には五、六人の人の中に、わたしを拘引《こういん》した巡査《じゅんさ》を見つけた。検事《けんじ》は二言三言で、罪状《ざいじょう》を陳述《ちんじゅつ》した。セント・ジョージ寺で窃盗事件《せっとうじけん》があった。どろぼうはおとなと子どもで、はしごを登ってはいるために、窓《まど》をこわした。かれらは外へ張《は》り番《ばん》の犬を置《お》いた。一時十五分|過《す》ぎにおそい通行人が寺の明かりを見つけて、すぐに寺男を起こした、五、六人、人が寺へかけつけると、犬ははげしくほえて、どろぼうは犬をあとに残《のこ》したまま、窓《まど》からにげた。犬のちえはおどろくべきものであった。つぎの朝その犬を巡査《じゅんさ》が競馬場《けいばじょう》へ連《つ》れて行った。そこでかれはすぐと主人を認識《にんしき》した。それはすなわち現《げん》に囚人席《しゅうじんせき》にいる子どもにほかならなかった。なお一人の共犯者《きょうかんしゃ》に対しては、追跡《ついせき》中であるからほどなく捕縛《ほばく》の手続《てつづ》きをするはずである。
わたしのために言われたことはいたってわずかであった。わたしの友人たちはわたしが現場《げんじょう》がいなかったという証言《しょうげん》をしたけれども、検事《けんじ》は、いや、寺へ行って共犯者《きょうはんしゃ》に出会って、それから「大がしの宿屋《やどや》」へかけて行く時間はじゅうぶんあったと言った。わたしはそれからどうして犬が一時十五分ごろ寺にいたか、その理由を述《の》べろと言われた。わたしは犬はまる一日自分のそばにいなかったのだから、それをなんとも言うことはできないし、わたしはなにも知らないと申し立てた。
わたしの弁護士《べんごし》は、犬がその日のうちに寺に迷《まよ》いこんで、寺男が戸を閉《し》めたとき、中へ閉めこまれたものであるということを証拠《しょうこ》立《だ》てようと努《つと》めた。かれはわたしのため
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