まえの洗礼証書《せんれいしょうしょ》をしまっておいたから、それを見せてあげよう」
かれは引き出しを探《さぐ》って、すぐと一枚の大きな紙を出して、わたしに手わたしをした。
「よかったらマチアに翻訳《ほんやく》させください」とわたしは最後《さいご》の勇気《ゆうき》をふるって言った。
「いいとも」
マチアがそれをできるだけよく翻訳した。それで見ると、わたしは八月二日の木曜日に生まれたらしい。そしてジョン・ドリスコルおよびその妻《つま》マーガレット・グランデのむすこであった。
この上の証拠《しょうこ》をどうして求《もと》めることができようか。
「これはみんなもっともらしい」とその晩《ばん》車の中に帰ると、マチアは言った。「でもどうして旅商人《たびあきんど》風情《ふぜい》が、その子どもにレースのボンネットや、縫箔《ぬいはく》の外とうを着せるだけの金があったろう。旅商人《たびあきんど》というものは、そんなに金のあるものではないさ」
「旅商人だから、そんな品物をたやすく手に入れることができたのだろう」
マチアは口ぶえをふきふき首をふっていた。それからまた小声で言った。
「きみはあのドリスコルの子どもではないが、ドリスコルがぬすんで来た子どもなのだ」
わたしはこれに答えようとしたが、かれはもうずんずん寝台《ねだい》の上にはい上がっていた。
アーサのおじさん――ジェイムズ・ミリガン氏《し》
わたしがマチアの位置《いち》であったなら、おそらくかれと同様な想像《そうぞう》をしたかもしれなかったが自分の位置としてわたしはそんな考えを持つのはまちがっていると感じた。ドリスコル氏《し》がわたしの父親だということは、もはや疑《うたが》う余地《よち》なく証明《しょうめい》された。わたしはそれをマチアと同じ立場からながめることができなかった。かれは疑い得《え》る……けれどわたしは疑《うたぐ》ってはならない。かれがなんでも自分の思うことを、わたしに信《しん》じさせようと努《つと》めると、わたしはかれにだまっていろと言い聞かせた。けれどもかれはなかなか頑強《がんきょう》で、その強情《ごうじょう》にいつも打ち勝つことは困難《こんなん》であった。
「なぜきみだけ色が黒くって、うちのほかの人たちは色が白いのだ」とかれはくり返して、その点を問いつめようとした。
「どうしてびんぼう人がやわらかなレースや、縫箔《ふいはく》を赤んぼうに着せることができたか」これがもう一つたびたびくり返される質問《しつもん》であった。するとわたしはこちらから逆《ぎゃく》に反問《はんもん》して、わずかにこれに答えることができた。あの人たちにとってわたしが子でないならば、なぜぼくを捜索《そうさく》したか。なぜバルブレンや、グレッス・アンド・ガリーに金をやったか。
マチアはわたしの反問《はんもん》に返事ができなかったけれども、かれはけっして承服《しょうふく》しようとはしなかった。
「ぼくらは二人でフランスへ帰るのがいいと思う」とかれは勧《すす》めた。
「そんなことができるものか」
「きみは一家といっしょにいるのが義務《ぎむ》だと言うのかい。でもこれがきみの一家だろうか」
こういうおし問答の結果《けっか》は、一つしかなかった。それはわたしをいままでよりもよけい不幸《ふこう》にしただけであった。疑《うたが》うということはどんなにおそろしいことであろう。でもいくら疑うまいと思ってもわたしは疑った。わたしが自分にはうちがないと思って、あれほど悲しがって泣《な》いていたじぶん、こうしてうちができた今日かえってこれほどの失望《しつぼう》におちいろうとはだれが思ったろう。どうしたらわたしはほんとうのことがわかるだろう。そう考えて、いよいよ胸《むね》にせまってくるとき、わたしは歌を歌って、おどりをおどって、笑《わら》って、しかめっ面《つら》でもするほかはなかった。
ある日曜日のことであった。父親はきょうは用があるからうちにいろとわたしに言いわたした。かれはマチアだけを一人外へ出した。ほかの者もみんな出て行った。祖父《そふ》だけが一人、二階に残《のこ》っていた。わたしは父親と一時間ばかりいたが、やがてドアをたたく音がして、いつもうちへ父親を訪《たず》ねて来る人とは、まるでちがった紳士《しんし》がはいって来た。かれは五十才ぐらいの年輩《ねんぱい》で、流行の粋《すい》を集めた身なりをしていた。犬のようなまっ白なとんがった歯をして、笑《わら》うときにはそれをかみしめようとでもするようにくちびるをあとへ引っこめた。かれはしじゅうわたしのほうをふり向いてみながら、イギリス語でわたしの父に話しかけた。
それからしばらくして、かれはほとんどなまりのないフランス語で話し始めた。
「これがきみの話をし
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