がら聞いた。わたしはかれに向かってマチアがいちばん仲《なか》のいい友だちであって、ずいぶん世話になっていることを話した。
「よしよし」と父親は言った。「あの子もうちにとまって、いなかを見物するがよかろう」
 わたしはマチアの代わりに答えようとしたが、かれが先に口をきいた。
「それはぼくもけっこうです」とかれはさけんだ。
 わたしの父親はなぜバルブレンがいっしょに来ないかとたずねた。わたしはかれにバルブレンの死んだことを告《つ》げた。かれはそれを聞いて喜《よろこ》んでいるようであった。かれはそのとおりを母親にくり返して言うと、かの女もやはり喜んでいるようであった。どうしてこの二人は、バルブレンの死んだことを喜《よろこ》んでいるのか。
「おまえは、わたしたちが十三年もおまえをたずねなかったことをふしぎに思っているかもしれない」と父親が言った。「しかも急にまた思い出したように出かけて行って、おまえを赤んぼうのじぶん拾った人を訪《たず》ねたのだからなあ」
 わたしはかれに自分のたいへんおどろいたこと、それからそれまでの様子をくわしく聞きたいことを話した。
「では炉《ろ》ばたへおいで。残《のこ》らず話してあげるから」
 わたしは肩《かた》から背嚢《はいのう》を下ろして、勧《すす》められたいすにこしをかけた。わたしがぬれてどろをかぶった足を炉にのばすと、祖父《そふ》はうるさい古ねこが来たというように、つんと向こうを向いてしまった。
「おかまいでない」と父親は言った。「あのじいさんはだれも火の前に来ることをいやがるのだ。けれどおまえ、寒ければかまわないよ」
 わたしはこんなふうに老人《ろうじん》に対して口をきくのを聞いてびっくりした。わたしはいすの下に足を引っこめた。そのくらいな心づかいはしなければならなとわたしは考えた。
「おまえはこれからわたしの総領《そうりょう》むすこだ」と父親が言った。「母さんと結婚《けっこん》して一年たっておまえは生まれたのさ。わたしがいまの母さんと結婚《けっこん》するとき、そのまえからてっきり自分と結婚するものと思っていたある若《わか》いむすめがもう一人あった。それが結婚のできなかったくやしまぎれに、生まれて六|月《つき》目のおまえをぬすみ出して行った。わたしたちはほうぼうおまえを探《さが》したが、パリより遠くへはどうにも行けなかった。わたしたちはおまえが死んだものと思っていたが、つい三|月《つき》まえ、このぬすんだ女が死んでね。死にぎわにわたしに悪事を白状《はくじょう》したのだ。わたしはさっそくフランスへ出かけて行って、おまえが捨《す》てられた地方の警察《けいさつ》から、初《はじ》めておまえがシャヴァノン村のバルブレンという石屋のうちに養《やしな》われていることを聞いた。わたしはバルブレンを探《さが》して、今度その人からおまえがヴィタリスという旅の音楽師《おんがくし》にやとわれて行ったこと、フランスの町じゅうを歩き回っていることを聞いた。わたしはいつまでもあちらに逗留《とうりゅう》してもいられないので、バルブレンにいくらかお金をやって、おまえを探《さが》すようにたのんだ。そうしてわかりしだいグレッス・アンド・ガリーへそう言って寄《よ》こすようにした。わたしはあのバルブレンにここの住まいを知らせておかなかったというわけは、わたしたちは冬のあいだだけロンドンにいるので、あとはずっとイギリスとスコットランドの地方を旅行して歩いているのだからね。わたしたちの商売は旅商人《たびあきんど》なのだよ。まあそんなふうにして、十三年目におまえがわたしたちの所へ帰って来たというわけだ。おえはわたしたちのことばがわからないのだから、はじめはすこしきまりが悪いかもしれないが、じきにイギリス語を覚《おぼ》えて、兄弟たちと話ができるようになるだろう。それはもうわけなく慣れるよ」
 そうだ、もちろんわたしはかれらに慣れなければならない。かれらはわたしの一家の者ではないか。それはりっぱな絹《きぬ》の産着《うぶぎ》で想像《そうぞう》したところと、目の前の事実とはこのとおりちがっていた。でもそれがなんだ。愛情《あいじょう》は富《とみ》よりもはるかに貴《たっと》い。わたしがあこがれていたのは金ではない、ただ愛情である。愛情が欲《ほ》しかったのだ。家族が、うちが、欲しかったのだ。
 わたしの父親がこの話をしているあいだに、かれらは晩餐《ばんさん》の食卓《しょくたく》をこしらえた。焼《や》き肉《にく》の大きな一節《ひとふし》にばれいしょ[#「ばれいしょ」に傍点]をそえたものが、食卓のまん中に置《お》かれた。
「おまえたち、腹《はら》が減《へ》っているか」と父親がマチアとわたしに向かってたずねた。マチアは白い歯を見せた。
「うん、机《つくえ》におすわり」
前へ 次へ
全82ページ中57ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
楠山 正雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング