はりつけてあった。それがすすと年代で黒茶けていた。
 ふとわたしは白いボンネットを見つけた。門はきりきりと開いた。
「きみ、早くかくれたまえ」とわたしはマチアに言った。
 わたしは自分をよけい小さく小さくした。ドアが開いて、バルブレンのおっかあがはいって来た。はいると、かの女は目を丸《まる》くしてわたしを見た。
「どなたですえ」とかの女はびっくりしてたずねた。
 わたしは返事をしないで、かの女のほうを見た。かの女はわたしを見返した。ふとかの女はふるえだした。
「おやおや、おまえさん、ルミだね」とかの女はつぶやいた。
 わたしはとび上がって、かの女を両うででおさえた。
「おっかあ」
「おお、ぼうや、ぼうや」これがかの女の言ったすべてであった。かの女はわたしの肩《かた》に頭をのせていた。
 数分間たって、わたしたちはやっと感動をおさえることができた。わたしはかの女のなみだをふいてやった。
「まあ、おまえ、なんて大きくおなりだろうねえ」うでいっぱいにわたしをおさえてみてかの女はこうさけんだ。「おまえ、ずいぶん大きくおなりだし、じょうぶそうになったねえ。ええ、ルミ」
 息をつめた鼻声で、マチアの寝台《ねだい》の下にいることを思い出したわたしは、かれを呼《よ》んだ。かれはのこのこはい出して来た。
「マチアです」とわたしは言った。「ぼくの兄弟のね」
「おお、ではおまえ、ご両親にお会いかえ」とかの女はさけんだ。
「いいや、これはぼくの仲《なか》よしです。でもほんとうの兄弟同様なんです。それからこれがカピです」とかの女がマチアとあいさつをすますとわたしはこうつけ加えた。「さあ、カピターノ、ご主人さまのお母さんにごあいさつしろ」
 カピは後足で立って、もったいらしくバルブレンのおっかあにおじぎをした。かの女は腹《はら》をかかえて笑《わら》った。これでかの女のなみだはすっかり消えてしまった。マチアはわたしに向かっていよいよ不意討《ふいう》ちにとりかかれという合図をした。
「さあ、行って庭がどんなふうになっているか見て来よう」とわたしは言った。
「わたしはおまえさんの花畑はそっくりそのままにしておいたよ」とかの女は言った。「いつかおまえがまた帰って来るだろうと思ったからねえ」
「ぼくのきくいもを食べましたか」
「ああ、おまえはわたしに不意討《ふいう》ちを食わせるつもりで、あれを植えたんだね。おまえはいつも人をびっくりさせることが好《す》きだったから」
 いよいよそのしゅんかんが来た。
「牛小屋はルセットがいなくなってから、そのままになっているの」とわたしはたずねた。
「いいえ。あすこにはこのごろまきがはいっているよ」
 そうかの女が言うころには、わたしたちはもう牛小屋に着いていた。わたしはドアをおし開けた。するとさっそくおなかの減《へ》っていた雌牛《めうし》が「もう」と鳴きだした。
「雌牛だよ。まあ、牛小屋に雌牛がさ」とバルブレンのおっかあがさけんだ。
 マチアとわたしはぷっとふき出した。
「これも不意討《ふいう》ちさ」とわたしがさけんだ。「でもきくいもよりかずっといいでしょう」
 かの女はぽかんとした顔をして、わたしをながめた。
「ええ、これがおくり物ですよ。ぼくはあの小さな迷子《まいご》の子どもに、あれほど優《やさ》しくしてくれたおっかあの所へ、空《から》っ手《て》では帰れなかった。これがルセットの代わりです。マチアとぼくとでもうけたお金でそれを買って来たのです」
「まあ、ねえ」とかの女はさけんで、わたしたち二人にキッスした。
 かの女はいまおくり物を検査《けんさ》するために、小屋の中へはいって行った。一つ一つ見つけては、かの女は歓喜《かんき》のさけび声を立てた。
「なんというりっぱな雌牛《めうし》でしょうね」とかの女はさけんだ。しばらくするとかの女はとつぜんふり向いた。
「まあおまえ、いまではきっとたいしたお金持ちなんだね」
「お金持ちですとも」とマチアが笑《わら》った。「ぼくたちはかくしに五十八スー残《のこ》っています」
 わたしは乳《ちち》おけを取りにうちへかけて行った。そしてうちの中にいるあいだにバターと卵《たまご》と麦粉《むぎこ》を食卓《しょくたく》が上にならべて、それから小屋までかけてもどった。乳おけに美しいあわの立つ乳が七分目まであふれているのを見たときに、どんなにかの女は喜《よろこ》んだであろう。
 それからかの女は食卓の上にどら焼《や》きをこしらえる仕度のできあがっているのを見ると、また大喜びをした。そのどら焼きを死ぬほど食べたがっている人がいるのだとわたしは言った。
「ではおまえさんたちはバルブレンさんがパリへ行ったことを知っていたにちがいないね」とかの女は言った。わたしはそこで、それを知ったわけを話した。
「どうしてあの人
前へ 次へ
全82ページ中48ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
楠山 正雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング