》であった。かれは白い牛を買いたがった。わたしはあのルセットのお形見に、茶色の牛をと思っていた。わたしたちはしかし、どちらにしても、ごくおとなしくって、乳《ちち》をたくさん出す牛を買うことに意見が一致《いっち》した。
 わたしたちは二人とも、なにを目標《もくひょう》に雌牛《めうし》のよしあしを見分けるか知らなかったから、獣医《じゅうい》の世話になることにした。わたしたちはよく牛を買うときに詐欺《さぎ》に会う話を聞いていた。そういう危険《きけん》をおかしたくはなかった。獣医をたのむことはよけいな費《つい》えではあろうけれど、どうもほかにしかたがなかった。ある人は、ごく安い値段《ねだん》で一ぴき買って帰ってみると、しっぽがにせものであったことがわかったという話も聞いた。またある人はごくじょうぶそうな、どこからみてもたくさん乳《ちち》を出しそうな雌牛《めうし》を買ったが、二十四時間にコップに二はいの乳《ちち》しか採《と》れなかったという話もある。ばくろうのやるちょいとした手品で、雌牛《めうし》はさもたくさん乳を出しそうに見せかけることができた。
 マチアはにせもののしっぽだけならなにも心配することはないと言った。なぜなら売り手といよいよ相談《そうだん》を始めるまえに、ありったけの力で雌牛《めうし》のしっぽに一つずつぶら下がってみればわかるのだからと言った。でもそれがほんとうのしっぽであったら、きっとおなかか頭をうんとひどくけとばされるだろうと言うと、かれの空想《くうそう》はすこしよろめいた。
 ユッセルに着いたのは五、六年ぶりであった。あれはヴィタリス親方といっしょで、ここで初《はじ》めてくぎで止めたくつを買ってくれたのであった。ああ、そのときここから出かけた六人のうち、残《のこ》っているのは、たったカピとわたしだけであった。
 わたしたちは町に着いて、あのときヴィタリスや犬ととまったことのある宿屋《やどや》に荷物を預《あず》けて、すぐ獣医《じゅうい》を探《さが》し始めた。やがて一人見つけたが、その人は、わたしたちが欲《ほ》しいという雌牛《めうし》の様子を話して、いっしょに行って買ってくれるようにと言うと、それをひどくおもしろいことに思ったらしかった。
「でもぜんたいおまえたち子ども二人で、雌牛《めうし》をなんにするのだね。お金は持っているのかい」とかれはたずねた。
 わたしたちはそこで、どのくらい金を持っているか、それをどうしてもうけたかということ、それからわたしが子どものとき世話になったシャヴァノン村のバルブレンのおっかあにおくり物をしておどろかせるつもりだということを話した。かれはするとひじょうに親切らしい熱心《ねっしん》を顔に見せて、あした七時に市場へ行って会おうとやくそくした。それでお礼はと言って聞くと、かれはまるっきりそんな物を受け取ることをこばんだ。そして笑いながらわたしたちを送り出して、その時間にはきっと市場へ行くようにと言った。
 そのあくる日夜明けから町はごたごたにぎわっていた。わたしたちのとまっている部屋《へや》から、馬車や荷車が下の往来《おうらい》のごろごろした石の上をきしって行くのが聞こえた。雌牛《めうし》はうなるし、ひつじは鳴く。百姓《ひゃくしょう》は家畜《かちく》にどなりつけたり、てんでんにじょうだんを言い合ったりしていた。
 わたしたちはいきなり頭から着物をひっかぶって、六時には市場に着いた。獣医《じゅうい》が来るまえに、選《よ》り取っておこうと思ったからである。
 なんという美しい雌牛《めうし》であろう……いろんな色、いろんな形をしていた。太ったのもあれば、やせたのもあり、子牛を連《つ》れたのもあった。馬もいたし、大きな太ったぶたは地べたに穴《あな》をほっていた。小さなぽちゃぽちゃした赤んぼうのぶたは、いまにも生きながら皮をはがれでもするようにぶうぶう鳴いていた。
 でもわたしたちは雌牛《めうし》よりほかには目にははいらなかった。それはみんな落ち着いて、おとなしく草を食べていた。かれらはまぶたをばちばち動かすだけで、わたしたちがしつっこく検査《けんさ》するままに任《まか》せていた。一時間もかかって調べたのち、わたしたちは十七頭気にいったのを見つけた。その一つ一つにちがった特質《とくしつ》があった。色の赤いのもあったし、白いのもあった。もちろんそんなことがいちいちマチアとわたしとの間に議論《ぎろん》をひき起こした。やがて獣医《じゅうい》がやって来た。わたしたちは好《す》きな雌牛《めうし》をかれに見せた。
「ぼくはこれがいいと思います」とマチアは白い雌牛を指さしながら言った。
「ぼくはあのほうがいいと思います」とわたしは赤い雌牛を指さして言った。
 獣医《じゅうい》はしかしその両方の前を知らん顔で通り過
前へ 次へ
全82ページ中42ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
楠山 正雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング