ルだの、マリだの、ルイだのと呼《よ》ばれる名前の人たちの数はおびただしいもので、したがってそういう祝《いわ》い日《び》には、花たばやら花びんを買って、名づけ親やお友だちにおくってお祝《いわ》いをしなければならない人が限《かぎ》りなく多かった。
 だから、この祝い日の前夜には、パリの通りは花でいっぱいになる。ふつうの店や市場だけではない。往来《おうらい》のすみずみ、家いえの石段《いしだん》、そのほかちょっとした店を開くことのできる場所にはきっと花を売っていた。
 アッケンのお父さんは、においあらせいとう[#「においあらせいとう」に傍点]の季節《きせつ》がすむと、七月、八月の祝《いわ》い日《び》の用意にせっせとかかっていた。とりわけ八月には、セン・マリ、セン・ルイの大祝日《だいしゅくじつ》があるので、これを当てこんで何千本というえぞぎく[#「えぞぎく」に傍点]、フクシア、きょうちくとう[#「きょうちくとう」に傍点]などを温室や温床《おんしょう》にはいりきらないほどしこんでおいた。これらの花はどれも、ちょうどその当日に早すぎずおそすぎず花ざかりというふうに作らなければならないので、そこにうでの要《い》るのは言うまでもないことであった。だれだって、太陽と天気を自由にすることはできない。天気は人間にかまわずよすぎたり、悪すぎたりするのであった。アッケンのお父さんは、そういううでにかけては、確《たし》かなものであったから、花が当日におくれたり早すぎたりするなどという失敗《しっぱい》はなかったが、それだけにめんどうな手数のかかることはしかたがなかった。
 この話の当時には、花の出来はまったくすばらしいものであった。それはちょうど八月五日のことであったが、花はいまが見ごろであった。花畑の中の野天の下で、えぞぎく[#「えぞぎく」に傍点]の花びらはいまにも口を開こうとしてふくれていた。
 温室の温度と日光を弱めるために、わざわざ石灰乳《せっかいにゅう》をガラスのフレームにぬった温床《おんしょう》の下で、フクシアやきょうちくとう[#「きょうちくとう」に傍点]がさきかけていた。うじゃうじゃと固《かた》まって草むらになっているものもあれば、頭から根元《ねもと》まで三角形につぼみのすずなりになったものもあった。どうして目の覚《さ》めるように美しかった。ときどきお父さんはいかにも満足《まんぞく》
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