きなかった、これをひじょうに残念《ざんねん》がっていた。たびたびわたしはかの女の目になみだが流れているのを見た。それがかの女の心の苦しみを語っていた。でも優《やさ》しい快活《かいかつ》な性質《せいしつ》からその苦しみはすぐに消えた。かの女は目をふいて、しいて微笑《びしょう》をふくみながら、こう言うのであった。
「いまにね」
アッケンのお父さんには、養子《ようし》のようにされ、子どもたちには兄弟のようにあつかわれながら、わたしは、またしてもわたしの生活を引っくり返すような事件《じけん》はもう起こらずに、いつまでもグラシエールにいられそうには思えなかった。それはわたしというものが、長く幸福にくらしてゆくことができないたちで、やっと落ち着いたと思うときには、それはきっとまた幸福からほうり出されるときであって、自分の望《のぞ》んでもいない出来事のためにまたもや変《か》わった生活にとびこまなければならなくなるのであった。
一家の離散《りさん》
このごろわたしは一人でいるとき、よく考えては独《ひと》り言《ごと》を言った。
「おまえはこのごろあんまりよすぎるよ。これはどうも長続《ながつづ》きしそうもない」
でもなぜ不幸《ふこう》が来なければならないか、それをまえから予想《よそう》することはできなかった。だがどのみち、それのやって来ることは疑《うたが》うことのできない事実のように思われてきた。
そう思うと、わたしはたいへん心細かった。しかし、一方から見ると、その不幸《ふこう》をどうにかしてさけるようにいっしょうけんめいになるので、しぜんにいいこともあった。なぜというに、わたしがこんなにたびたび不幸な目に会うのは、みんな自分の過失《かしつ》から来ると思って、反省《はんせい》するようになったからである。
でもほんとうは、わたしの過失ではなかった。それをそう思ったのは、自分の思い過《す》ごしであったが、不幸《ふこう》が来るという考えはちっともまちがいではなかった。
わたしはまえに、お父さんがにおいあらせいとう[#「においあらせいとう」に傍点]の栽培《さいばい》をやっていたと言ったが、この花を作るのはわりあいに容易《ようい》で、パリ近在《きんざい》の植木屋はこれで商売をする者が多かった。その草は短くって大きく、上から下までぎっしり花がついていて、四、五月ごろにな
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