でいく年かのあいだためた金を書物を買うために使ったし、その本を読むために休みの時間を費《ついや》した。けれど結婚《けっこん》して子どもができてからは、休みの時間がごくまれになった。なによりもその日その日のパンをもうけなければならなかった。しぜん書物からはなれたが、捨《す》てられたわけでもなく、売りはらわれたわけでもなかった。わたしが初《はじ》めてむかえた冬はたいへん長かったし、花畑の仕事はほとんど中止同様に、少なくとも何か月のあいだの仕事はひまであった。それでわたしたちは炉《ろ》を囲《かこ》んで、いっしょにくらす晩《ばん》などには、そういう古い本をたんすから引き出して、めいめいに分けて読んだ。それはたいてい植物学の本か植物の歴史《れきし》のほかには、航海《こうかい》に関係《かんけい》した本であった。アルキシーとバンジャメンはお父さんの学問の趣味《しゅみ》を受けついでいなかったから、せっかく本を開けても三、四ページもめくるとすぐいねむりを始めるのであった。わたしはしかしそんなにねむくはなかったし、ずっと本が好《す》きだったので、いよいよねどこにはいらなければならない時間まで読んでいた。こうなるとヴィタリスの手ほどきをしてくれた利益《りえき》がむだにはならなかった。わたしはねながらそれを独《ひと》り言《ごと》に言って、かれのことをありがたく思い出していた。
わたしがものを学びたいという望《のぞ》みは、はしなくお父さんに、自分もむかし本を買うために毎朝|朝飯《あさめし》のお金を二スー倹約《けんやく》したむかしを思い出させた。それでたんすの中にあった書物のほかの本までパリからわざわざ買って来てくれた。その書物の選《えら》び方《かた》はでたらめか、さもなければ表題《ひょうだい》のおもしろいものをつかみ出して来るにすぎなかったが、やはり書物は書物であった。これはそのじぶん秩序《ちつじょ》もなく、わたしの心にはいっては来たが、いつまでも消えることはなかった。それはわたしに利益《りえき》を残《のこ》した。いいところだけが残った。なんでも本を読むのは利益だということは、ほんとうのことである。
リーズは本を読むことを知らなかったが、わたしが一時間でもひまがあれば、本と首っぴきをしているのを見て、なにがそんなにおもしろいのだろう、そのわけを知りたがっていた。初《はじ》めのうちはかの女
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