わたしの新しい家庭の場所はグラシエール、うちの名はアッケン家、植木屋が商売で、ピエール・アッケンというのがお父さんで、アルキシーに、バンジャメンという二人の男の子、それから女の子はエチエネットに、うちじゅうでいちばん小さいリーズでこれが家族|残《のこ》らずであった。
 リーズはおしであった。生まれつきのおしではなかったが、四度目の誕生日《たんじょうび》をむかえるすこしまえに、病気でものを言う力を失《うしな》った。この不幸《ふこう》は、でも幸せとかの女のちえを損《そこ》ないはしなかった。その反対にかの女のちえはなみはずれた程度《ていど》に発達《はったつ》した。かの女はなんでもわかるらしかった。でもその愛《あい》らしくって、活発で優《やさ》しい気質《きしつ》が、うちじゅうの者に好《す》かれていた。それで病身の子どもにありがちのうちじゅうのきらわれ者になるようなことのないばかりか、リーズのいるために、うちじゅうがおもしろくくらしている。むかしは貴族《きぞく》の家の長子に生まれると福分《ふくぶん》を一人じめにすることができたが、今日の労働者《ろうどうしゃ》の家庭では、総領《そうりょう》はいちばん重い責任《せきにん》をしょわされる。母親が亡《な》くなってから、エチエネットが家庭の母親であった。かの女は早くから学校をやめさせられ、うちにいてお料理《りょうり》をこしらえたり、お裁縫《さいほう》をしたり、父親や兄弟たちのために家政《かせい》を取らなければならなかった。かれらはみんなかの女がむすめであり、姉《あね》であることを忘《わす》れきって、女中の仕事をするのばかり見慣《みな》れていた。いくらひどく使っても出て行く心配もなければ、不平《ふへい》を言う気づかいもない重宝《ちょうほう》な女中であった。かの女が外へ出ることはめったになかったし、けっしておこったこともなかった。リーズをうでにかかえてベンニーの手を引きながら、朝は暗いうちから起きて、父親の朝飯《あさめし》をこしらえ、夜はおそくまでさらを洗《あら》ったりなどをしてからでなくては、とこにはいらなかったから、かの女はまるで子どもでいるひまがなかった。十四だというのにかの女の顔はきまじめにしずんでいた。それは年ごろのむすめの顔ではなかった。
 わたしはハープをかべにかけてから、ゆうべ出会った出来事をぽつぽつ話しだした。石切り
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