チアがわたしの耳にささやいた。
「さあ、あしたはいよいよバルブレンのおっかあの所へ手紙をやるのだよ」
 こう言ってかれは寝台《ねだい》にとび上がった。
 しかし、そのあくる朝わたしは、カピにいやでも因果《いんが》を言いふくめなければならなかった。わたしはかれをうでにだいて、その冷《つめ》たい鼻に優《やさ》しくキッスしながら、これからしなくてはならないことを言って聞かした。かわいそうな犬よ。どんなにかれはわたしの顔をながめたか、どんなに耳を立てていたか、わたしはそれからアレンの手にひもをわたして、犬は二人の子どもにおとなしく、しかしがっかりした様子でついて行った。
 父親はマチアとわたしをロンドンの町中へ連《つ》れて行った。きれいな家や、白いしき石道のあるりっぱな往来《おうらい》があった。ガラスのようにぴかぴか光る馬車がすばらしい馬に引かれて、その上に粉《こな》をふりかけたかつらをかぶった大きな太った御者《ぎょしゃ》が乗っていた。
 わたしたちがレッド・ライオン・コートへもどったのは、もうおそかった。ウェストエンドからベスナル・グリーンまでの距離《きょり》はかなり遠いのである。わたしはまたカピを見てどんなにうれしく思ったろう。かれはどろまみれになっていたが、上きげんであった。わたしはあんまりうれしかったから、かわいたわらでかれのからだをよくかいてやったうえ、わたしのひつじの毛皮にくるんで、いっしょにとこの中に入れてねかしてやった。
 こんなふうにして五、六日|過《す》ぎていった。マチアとわたしは別《べつ》な道を行くと、カピとネッドとアレンがほかの方角へ行った。
 するとある日の夕方、父親が「あしたはおまえたちがカピを連《つ》れて行ってもいい、二人の子どもにはうちで少しさせることがあるから」と言った。マチアとわたしはひじょうに喜《よろこ》んで、いっしょうけんめいやってたくさんの金を取って帰れば、これからはしじゅうわたしたちに犬をつけて出すようになるだろうというもくろみを立てた。ぜひともカピを返してもらわなければならない。わたしたち三人は一人だって欠《か》けてはならないのだ。
 わたしたちは朝早くカピをごしごし洗《あら》ってやって、くしを入れてやって、それから出かけた。
 運悪くわたしたちのもくろみどおりには運ばないで、深いきりがまる二日のあいだロンドンに垂《た》れこめて
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