にキッスした。
「さあ」とかれは言った。「おまえのおじいさんも、お母さんも、弟や妹たちもいるよ」
 わたしはまず母親の所へ行って、両うでをからだにかけた。かの女はわたしにキッスをさせた。けれどわたしの愛情《あいじょう》には報《むく》いてくれなかった。かの女はただわたしにわからないことを二言三言いった。
「おじいさんと握手《あくしゅ》をおし」と父親が言った。「そっとおいでよ。中気《ちゅうき》なのだから」
 わたしはまた弟たちや、女の姉妹《きょうだい》と握手した。小さい子をうでにだき上げようとしたが、かの女はすっかりカピに気を取られていて、わたしをおしのけた。わたしはむなしくそここことめぐって歩いて、しまいには自分に腹立《はらだ》たしくなった。
 なぜやっとのことで自分のうちを見つけたのに、すこしもうれしく感じることができないのか。わたしは父親に母親に、兄弟に、祖父《そふ》まである。わたしはこのしゅんかんをどんなに望《のぞ》んでいたろう。わたしもほかの子どもと同様に、自分のものと呼《よ》んで愛《あい》し愛されるうちを持つことを考えて、その喜《よろこ》びに気がくるいそうになったことがあった……それがいま自分の一家をふしぎそうにながめるばかりで、心のうちにはなにも言うことがない。一言《いちごん》の愛情《あいじょう》のことばが出て来ないのである。わたしはけものなのであろうか。わたしがもし両親をこんなびんぼうな小屋でなく、りっぱなごてんの中で見いだしたなら、もっと深い愛情が起こったであろうか。わたしはそれを考えてはずかしく思った。
 そう思ってわたしはまた母親のそばへ寄《よ》って、両うでをかけてしたたかかの女のくちびるにキッスした。まさしくかの女はなんのつもりで、わたしがこんなことをするのかわからなかった。だからわたしのキッスを返そうとはしないで、きょときょとした様子でわたしの顔をながめた。それから夫《おっと》、すなわちわたしの父親のほうへ向いて肩《かた》をそびやかした。そしてなにかわたしにわからないことを言うと、夫はふふんと笑《わら》った。かの女の冷淡《れいたん》と、わたしの父親の嘲笑《ちょうしょう》とが深《ふか》くわたしの心を傷《きず》つけた。
 わたしの愛情《あいじょう》はそんなふうにして受け取らるべきものでないとわたしは思った。
「あれはだれだ」と父親はマチアを指さしな
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