すことができた。
「つなを持っていてくれたまえ」とわたしはマチアに言った。
一とびでわたしはこしかけの上に乗った。谷の中の景色《けしき》にはなにも変《か》わったものはなかった。それはそっくり同じに見えた。けむりまで同じようにえんとつから上がっていた。そのけむりがわたしたちのほうへなびいて来ると、かしの葉のにおいがすっと鼻をかすめたように思われた。
わたしはこしかけからとび下りて、マチアをだきしめた。カピがわたしにとびついて来た。わたしは二人をいっしょにして、固《かた》く固くしめつけた。
「さあ、こうなれば少しでも早く行こうよ」とわたしはさけんだ。
「情《なさ》けないことだなあ」とマチアがため息をついた。「このけものさえ音楽が好《す》きなら、どんなにもどうどうと、凱旋《がいせん》の曲を奏《そう》しながらはいって行けるのだけれど」
わたしたちが往来《おうらい》の曲がり角まで行くと、バルブレンのおっかあが小屋から出て来て、村の往来の方角へ向かって行くのを見つけた。どうしよう。わたしたちはかの女にいきなり不意討《ふいう》ちを食わせるくわだてをしていた。わたしたちはなにかほかのしかたを考えなければならなくなった。ドアにはいつでもかけ金だけかかっていることを知っていたので、わたしたちは雌牛《めうし》を牛小屋につないで、ずんずんうちの中にはいって行くことにした。小屋の中はまきがいっぱいはいっていた。そこでわたしたちはそれをすみに積《つ》み上げて、ルセットの代わりに連《つ》れて来た雌牛を入れた。
それからわたしたちがうちの中にはいると、わたしはマチアに言った。
「じゃあ、それではぼくはこの炉《ろ》ばたにこしをかけよう。するとはいって来てぼくのここにいるのを見つけるからね。門を開けるときりきりという音がするから、そのとききみはカピといっしょにかくれたまえ」
わたしはむかしいつも冬の晩《ばん》になるとすわったそのいすの上にかけた。わたしはできるだけ小さく見えるように、背中《せなか》を丸《まる》くしていた。こうして少しでもあのバルブレンのおっかあのかわいいルミに近い様子を作ろうとした。わたしのすわっている所から門はよく見えた。わたしは門のほうに気を取られて見ていた。
なにも変《か》わってはいなかった。なにかが同じ場所にあった。わたしのこわした窓《まど》ガラスにはまだ小さな紙が
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