うらい》には人ひとりいなかった。わたしたちのぐるりには死の沈黙《ちんもく》があった。
この沈黙《ちんもく》がわたしをおびえさせた。なにをわたしはこわがっているのだ。わたしはわからなかったが、とりとめもない恐怖《きょうふ》がのしかかってきた。わたしはここで死にかけているように思った。そう思うとたいへん悲しくなった。
わたしはシャヴァノンを思い出した。かわいそうなバルブレンのおっかあを思い出した。わたしはかの女をもう一度見ることなしに、わたしたちの小さな家や、わたしの小さな花畑を見ることなしに死ななければならないのだ……。
するうちわたしはもう寒くはなくなった。わたしはいつか自分の小さな花畑に帰って来たように思った。太陽はかがやいていて、それはずいぶん暖《あたた》かかった。きくいも[#「きくいも」に傍点]が金の花びらを開いていた。小鳥がこずえの中やかきねの上で鳴いていた。そうだ、そうしてバルブレンのおっかあがさざ波を立てている小川へ出て、いま洗《あら》ったばかりの布《ぬの》を外へ干《ほ》している。
わたしはシャヴァノンをはなれて、アーサとミリガン夫人《ふじん》といっしょに白鳥号に乗っている。
やがてまた目が閉《と》じた。心が重たくなったように思った。そしてもうなにも覚《おぼ》えてはいなかった。
リーズ
目を覚《さ》ますとわたしは寝台《ねだい》の上にいた。大きな炉《ろ》のほのおがわたしのねむっている部屋《へや》を照《て》らした。わたしはついぞこの部屋を見たことがなかった。わたしを取り巻《ま》いて寝台のそばに立っている人たちの顔も知らなかった。そこにねずみ色の背広《せびろ》を着て、木のくつをはいた男と、三、四人の子どもがいた。その中でことに目についたのは六つばかりの小さな女の子で、それはすばらしく大きな目がいまにもものを言うかと思うように、いかにも生き生きとかがやいていた。
わたしはひじで起き上がった。みんながそばへ寄《よ》って来た。
「ヴィタリスは」とわたしはたずねた。
「あの子は父さんを探《さが》しているのだよ」と、子どもたちの中でいちばん総領《そうりょう》らしいのが言った。
「あの人は父さんではありません。親方です」とわたしは言った。「どこへ行きました。カピはどこにいますか」
ヴィタリスがほんとうの父親であったなら、たぶんこの人たちもえ
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