がりこうであるか知った。
 親方がナイフをズボンのかくしにしまうと、これは食事のすんだ知らせであったから、カピは立ち上がって、食物を入れたふくろのにおいをかいだ。それから前足をふくろにのせてこれにさわってみた。この二重の吟味《ぎんみ》で、もうなにも食物の残《のこ》っていないことがわかった。それでかれはたき火の前の自分の席《せき》に帰って、ゼルビノとドルスの顔をながめた。その顔つきはあきらかにどうもしんぼうするほかはないよという意味を示《しめ》していた。そこでかれはあきらめたというように、ため息をついて全身を長ながとのばした。
「もうなにもない。ねだってもだめだよ」かれはこれを大きな声で言ったと同様、はっきりと仲間《なかま》の犬たちに会得《えとく》さしていた。
 かれの仲間《なかま》はこのことばを理解《りかい》したらしく、これもやはりため息をつきながらたき火の前にすわった。けれどゼルビノのため息はけっしてほんとうにあきらめたため息ではなかった。おなかの減《へ》っているうえに、ゼルビノはひじょうに大食らいであった。だからこれはかれにとっては大きな犠牲《ぎせい》であった。
 雪がまたずんずん降《ふ》りだしていた。ずいぶんしつっこく降っていた。わたしたちは白い地べたのしき物が高く高くふくれ上がって、しまいに、小さな若木《わかぎ》や灌木《かんぼく》がすっかりうずまってしまうのを見た。夜になっても、大きな雪片《せっぺん》がなお暗い空からほの明るい地の上にしきりなしに落ちていた。
 わたしたちはいよいよここへねむるとすれば、なによりいちばんいいことは、できるだけ早くねつくことであった。わたしは昼間火でかわかしておいた毛皮服にくるまってまくらの代わりにした。平ったい石に頭をのせて、たき火の前に横になった。
「おまえはねむるがいい」親方が言った。「わたしのねむる番になればおまえを起こすから。この小屋ではけものもなにも心配なことはないが、二人のうち一人は起きていて、火の消えないように番をしなければならない。用心してかぜをひかないように気をつけなければいけない。雪がやむとひどい寒さになるからな」
 わたしはさっそくねむった。親方がまたわたしを起こしたときには、夜はだいぶふけていた。たき火はまだ燃《も》えていた。雪はもう降《ふ》ってはいなかった。
「今度はわたしのねむる番だ」と親方が言った。「火が消えたら、ここへこのとおりたくさん採《と》っておいたまきをくべればいい」
 なるほどかれはたき火のわきに小えだをたくさん積《つ》み上げておいた。わたしよりずっと少ししかねむれない親方は、わたしがいちいちかべからまきをぬくたんびに音を立てて目を覚《さ》まさせられることをいやがった。それでわたしはかれのこしらえておいてくれたまきの山から取っては、そっと音を立てずに火にくべれはよかった。
 たしかにこれはかしこいやり方ではあったけれど、情《なさ》けないことに親方は、これがどんな意外な結果《けっか》を生むかさとらなかった。
 かれはいまジョリクールを自分の外とうですっかりくるんだまま、たき火の前にからだをのばした。まもなくしだいに高く、しだいに規則《きそく》正しいいびきで、よくねいったことが知れた。
 そのときわたしはそっと立ち上がって、つま先で歩いて、外の様子がどんなだか、入口まで出て見た。
 草もやぶも木もみんな雪にうまっていた。日の届《とど》くかぎりどこも目がくらむような白色であった。空にはぽつりぽつり星の光がきらきらしていた。それはずいぶん明るい光ではあったが、木の上に青白い光を投げているのは雪の明かりであった。もうずっと寒くなっていた。ひどくこおっていた。すきまからはいる空気は氷のようであった。喪中《もちゅう》にいるような静《しず》けさの中に、雪の表面のこおりつく音がいく度となく聞こえた。
「ああ、この森のおくで雪の中にうめられてわたしたちはどうすればいいのだ。この雪と寒さの中で、この小屋でもなかったらどうなったであろう」
 わたしはそっと音のしないように出たのであったが、やはり犬たちを起こしてしまった。中でもゼルビノは起き上がってわたしについて来た。夜の荘厳《そうごん》はかれにとってなんでもなかった。かれはしばらく景色《けしき》をながめたが、やがてたいくつして外へ出て行こうとした。
 わたしはかれに中にはいるように命令《めいれい》した。ばかな犬よ。このおそろしい寒さの中でうろつき回るよりは、暖《あたた》かいたき火のそばにおとなしくしていたほうがどのくらいいいか知れない。かれは不承不承《ふしょうぶしょう》にわたしの言うことを聞いたが、しかしひどくふくれっ面《つら》をして、目をじっと入口に向けていた。よほどしつっこい、いったん思い立ったことを忘《わす》れない犬であった。
 わたしは、まっ白な夜をながめながらまだ二、三分そこに立っていた。それは美しい景色《けしき》ではあったし、おもしろいと思ったが、なんとも言えないさびしさを感じた。むろん見まいと思えば目をふさいで中にはいって、そのさびしい景色を見ずにいることはできるのだが、白いふしぎな景色がわたしの心をとらえたのであった。
 とうとうわたしはまたたき火のそばへ帰って、二、三本まきをたがいちがいに火の上に組み合わせて、まくらの代わりにした石の上にこしをかけた。
 親方はおだやかにねむっていた。犬たちとジョリクールもまたねむっていた。ほのおが火の中から上って、ぴかぴか火花を散《ち》らしながら屋根のほうまで巻《ま》き上がった。ぱちぱちいうたき火のほのおの音だけが夜の沈黙《ちんもく》を破《やぶ》るただ一つの音であった。
 長いあいだわたしは火をながめていたけれど、だんだん我知《われし》らずうとうとし始めた。わたしが外へ出てまきをこしらえる仕事でもしていたら、日を覚《さ》ましていられたかもしれなかったが、なにもすることもなくって火にあたっているので、たまらなくねむくなってきた。そのくせしょっちゅう自分ではいっしょうけんめい目を覚《さ》ましているつもりになっていた。
 ふとはげしいほえ声にわたしは目が覚めて、とび上がった。まっ暗であった。わたしはかなり長いあいだねむったらしく、火はほとんど消《き》えかかっていた。もう小屋の中にほのおが光ってはいなかった。
 カピはけたたましくほえたてていた。けれどふしぎなことにゼルビノの声もドルスの声もしなかった。
「どうした。どうした」と親方が目を覚《さ》ましてさけんだ。
「知りません」
「おまえはねむっていたのだな。火も消えている」
 カピは入口までかけ出して行ったが、外へとび出そうとはしなかった。出口でウウ、ウウ、ほえていた。
「どうした。どうしたというんだろう」わたしは今度は自分にたずねた。
 カピのほえ声に答えて、二声三声、すごい悲しそうなうなり声が聞こえた。それはドルスの声だとわかった。そのうなり声は小屋の後ろから、しかもごく近い距離《きょり》から聞こえて来た。
 わたしは外へ出ようとした。けれど親方はわたしの肩《かた》に手をのせて引き止めた。
「まあまきをくべなさい」かれは命令《めいれい》の調子で言った。
 言いつけられたとおりにわたしがしていると、かれは火の中から一本小えだを引き出して、火をふき消して、燃《も》えている先を吹《ふ》いた。
 かれはそのたいまつを手に持った。
「さあ、行って見て来よう」とかれは言った。「わたしのあとについておいで。カピ、先へ行け」
 外へ出ようとすると、はげしいほえ声が聞こえた。カピはこわがって、あとじさりをして、わたしたちの間に身をすくめた。
「おおかみだ。ゼルビノとドルスはどこへ行ったろう」
 なにをわたしが言えよう。二ひきの犬はわたしのねむっているあいだに出て行ったにちがいない。ゼルビノはわたしがねつくのを待って、ぬけ出して行った。そしてドルスが、そのあとについて行ったのだ。
 おおかみがかれらをくわえたのだ。親方が犬のことをたずねたとき、かれの声にはその恐怖《きょうふ》があった。
「たいまつをお持ち」とかれは言った。「あれらを助けに行かなければならない」
 村でわたしはよくおおかみのおそろしい話を開いていた。でもわたしはちゅうちょすることはできなかった。わたしはたいまつを取りにかけて帰って、また親方のあとに続《つづ》いた。
 けれども外には犬も見えなければおおかみも見えなかった。雪の上にただ二ひきの犬の足あとがぽつぽつ残《のこ》っていた。わたしたちはその足あとについて小屋の回りを歩いた。するとややはなれて雪の中でなにかけものが転《ころ》がり回ったようなあとがあった。
「カピ、行って見て来い」と親方は言った。同時にかれはゼルビノとドルスを呼《よ》び寄《よ》せる呼《よ》び子《こ》をふいた。
 けれどこれに答えるほえ声は聞こえなかった。森の中の重苦しい沈黙《ちんもく》を破《やぶ》る物音はさらになかった。カピは言いつけられたとおりにかけ出そうとはしないで、しっかりとわたしたちにくっついていた。いかにも恐怖《きょうふ》にたえない様子であった。いつもはあれほど従順《じゅうじゅん》でゆうかんなカピが、もう足あとについてそれから先へ行くだけの勇気《ゆうき》がなかった。わたしたちの回りだけは雪がきらきら光っていたが、それから先はただどんよりと暗かった。
 もう一度親方は呼《よ》び子《こ》をふいて、迷《まよ》い犬《いぬ》を呼びたてた。でもそれに答える声はなかった。わたしは気が気でなかった。
「ああ、かわいそうなドルス」親方はわたしの心配しきっていることをすっぱり言った。
「おおかみがつかまえて行ったのだ。どうしてあれらを放してやったのだ」
 そう、どうして――そう言われて、わたしは答えることばがなかった。
「行って探《さが》して来なければ」とわたしはしばらくして言った。
 わたしは先に立って行こうとしたけれど、かれはわたしを引き止めた。
「どこへ探しに行くつもりだ」とかれはたずねた。
「わかりません、ほうぼうを」
「この暗がりでは、どこに行ったかわかるものではない。この雪の深い中で……」
 それはほんとうであった。雪がわたしたちのひざの上まで積《つ》もっていた。わたしたちの二本のたいまつをいっしょにしても、暗がりを照《て》らすことはできなかった。
「ふえをふいても答えないとすると、遠方へ行ってしまっているのだ」とかれは言った。
「わたしたちは、むやみに進むことはならない。おおかみはわれわれにまでかかって来るかもしれない。今度は自分を守ることができなくなる」
 かわいそうな犬どもを、その運命《うんめい》のままに任《まか》せるということは、どんなに情《なさ》けないことであったろう。
 ――われわれの二人の友だち、それもとりわけわたしにとっての友だちであった。それになにより困《こま》ったことは、それがわたしの責任《せきにん》だということであった。わたしはねむりさえしなかったら、かれらも出て行きはしなかった。
 親方は小屋に帰って行った。わたしはそのあとに続《つづ》きながら、一足ごとにふり返っては、立ち止まって耳を立てた。
 雪のほかにはなにも見えなかった。なんの声も聞こえなかった。
 こうしてわたしたちが、小屋にはいると、もう一つびっくりすることがわたしたちを待っていた。火の中に投げこんでおいたえだは勢《いきお》いよく燃《も》え上がって、小屋のすみずみの暗い所まで照《て》らしていた。けれどもジョリクールはどこへ行ったか見えなかった。かれの着ていた毛布《もうふ》はたき火の前にぬぎ捨《す》ててあった。けれどかれは小屋の中にはいなかった。親方もわたしも呼《よ》んだ。けれどかれは出て来なかった。
 親方の言うには、かれの目を覚《さ》ましたときには、さるはわきにいた。だからいなくなったのは、わたしたちが出て行ったあとにちがいなかった。燃《も》えているたいまつを雪の積《つ》もった地の上にくっつけるようにして、その足あとを見つけ出そうとした。でもなんの手が
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