フォリはマチアの持って来たあかじみた小さな帳面には目もくれなかった。初《はじ》めのいおうくさいマッチをつけた子どもに、来いと合図をした。
「おまえにはきのう一スー貸《か》してある。それをきょう持って来るやくそくだったが、いくら持って来たな」
 子どもは赤くなって、当惑《とうわく》を顔に表して、しばらくもじもじしていた。
「一スー足りません」とかれはやっと言った。
「はあ、おまえは一スー足りないのかね。それでいいのだね」
「きのうの一スーではありません。きょう一スー足りないのです」
「それで二スーになる。おれはきさまのようなやつを見たことがない」
「わたしが悪いんではないんです」
「言《い》い訳《わけ》をしなさんな。規則《きそく》は知っているだろう。着物をぬぎなさい。きのうの分が二つ、きょうの分が二つ。合わせて四つ。それから横着《おうちゃく》の罰《ばつ》に夕食のいもはやらない。リカルド、いい子や。おまえはいい子だから、気晴らしをさせてやろう。むちをお取り」
 二本目のマッチをつけた子どものリカルドが、かべから大きな結《むす》び目《め》のある皮ひもの二本ついた、柄《え》の短いむちを下ろした。そのあいだに二スー足りない子どもは上着のボタンをはずしていた。やがてシャツまでぬいでからだをこしまで現《あらわ》した。
「ちょっと待て」とガロフォリがいまいましい微笑《びしょう》を見せて言った。
「たぶんきさまだけではあるまい。仲間《なかま》のあるということはいつでもゆかいなものだし、リカルドにたびたび手数をかけずにすむ」
 子どもたちは親方の前に身動きもせずに立っていたが、かれの残酷《ざんこく》なじょうだんを開いて、みんな無理《むり》に笑《わら》わされた。
「いちばん笑ったやつはいちばん足りないやつだ」とガロフォリが言った。「きっとそれにちがいない。いちばん大きな声で笑ったのはだれだ」
 みんなは例《れい》の大きな材木《ざいもく》を持って、まっ先に帰って来た子どもを指さした。
「こら、きさまはいくら足りない」とガロフォリがせめた。
「わたしのせいではありません」
「わたしのせいではありませんなんかと言うやつは、一つおまけにぶってやろう。いくら足りないのだ」
「わたしは大きな材木を一本持って来ました。りっぱな材木です」
「それもなにかになる。だがパン屋へ行ってその棒《ぼう》でパンにかえてもらって来い。いくらにかえてくれるか。いくら足りないのだ。言ってみろ」
「わたしは三十六スー持って来ました」
「この悪者め、四スー足りないぞ。それでいて、そんなしゃあしゃあした面《つら》をして、おれの前につっ立っている。シャツをぬげ。リカルドや、だんだんおもしろくなるよ」
「でも材木《ざいもく》は」と子どもがさけんだ。
「晩飯《ばんめし》の代わりにきさまにやるわ」
 この残酷《ざんこく》なじょうだんが罰《ばっ》せられないはずの子どもたちみんなを笑《わら》わせた。それからほかの子どもたちも一人一人|勘定《かんじょう》をすました。リカルドがむちを手に持って立っていると、とうとう五人までの犠牲者《ぎせいしゃ》が一列にかれの前にならべられることになった。
「なあ、リカルド」とガロフォリが言った。「おれはこんなところを見るといつも気分が悪くなるから、見ているのはいやだ。だが音だけは聞ける。その音でおまえのうでの力を聞き分けることができる。いっしょうけんめいにやれよ。みんなきさまたちのパンのために働《はたら》くのだ」
 かれは炉《ろ》のほうへからだを向けた。それはあたかもかれがこういう懲罰《ちょうばつ》を見ているにしのびないというようであった。
 わたしは一人すみっこに立って、いきどおりとおそれにふるえていた。これがわたしの親方になろうとする男なのである。わたしもこの男に言いつけられた物を持って帰らなければ、やはりリカルドに背中《せなか》を出さねばならなかった。ああ、わたしはマチアがあれほど平気で死ぬことを口にしているわけがわかった。
 ぴしり、第一のむちがふるわれて、膚《はだ》に当たったとき、もうなみだがわたしの目にあふれ出した。わたしのいることは忘《わす》れられていたと思っていたけれど、それは考えちがいで、ガロフォリは目のおくからわたしを見ていた。
「人情《にんじょう》のある子どもがいる」とかれはわたしを指さした。「あの子はきさまらのような悪党《あくとう》ではない。きさまらは仲間《なかま》が苦しんでいるところを見て笑《わら》っている。この小さな仲間を手本にしろ」
 わたしは頭のてっぺんから足のつま先までふるえた。ああ、かれらの仲間か……。
 第二のむちをくって犠牲《ぎせい》はひいひい泣《な》き声《ごえ》を立てた。三度目には引きさかれるようなさけび声を上げた。ガロフォリが
前へ 次へ
全80ページ中79ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
楠山 正雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング