ん少なくなった。芝居《しばい》がすむと一人ずつまた二人ずつ、子どもたちはやって来て、ジョリクールとカピとドルスに握手《あくしゅ》をして行った。みんなさようならを言いに来たのであった。そこでわたしたちもまたなつかしい冬の休息所を見捨《みす》てて、またもや果《は》て知《し》れない漂泊《ひょうはく》の旅に出て行かなければならなかった。それはいく週間と知らない長いあいだ、谷間をぬけ山をこえた。いつもピレネー連山《れんざん》のむらさき色のみねを横に見た。それはうずたかくもり上がった雲のかたまりのように見えていた。
さてある晩《ばん》わたしたちは川に沿《そ》った豊《ゆた》かな平野の中にある大きな町に着いた。赤れんがのみっともない家が多かった。とんがった小砂利《こじゃり》をしきつめた往来《おうらい》が、一日十二マイル(約十九キロ)も歩いて来た旅行者の足をなやました。親方はわたしに、ここがツールーズの町だと言って、しばらくここに滞留《たいりゅう》するはずだと話した。
例《れい》によってそこに着いていちばん初《はじ》めにすることは、あくる日の興行《こうぎょう》につごうのいい場所を探《さが》すことであった。
つごうのいい場所はけっして少なくはなかったが、とりわけ植物園の近傍《きんぼう》(近所)のきれいな芝生《しばふ》には、大きな樹木《じゅもく》が気持ちのいいかげを作っていて、そこへ広い並木道《なみきみち》がほうぼうから集まっていた。その並木道の一つで第一回の興行《こうぎょう》がすることにした。すると初日《しょにち》からもう見物の山を築《きず》いた。
ところで不幸《ふこう》なことに、わたしたちが仕度をしているあいだ、巡査《じゅんさ》が一人そばに立っていて、わたしたちの仕事を不快《ふかい》らしい顔で見ていた。その巡査はおそらく犬がきらいであったか、あるいはそんな所にわれわれの近寄《ちかよ》ることをふつごうと考えたのか、ひどくふきげんでわたしたちを追いはらおうとした。
追いはらわれるままにわたしたちはすなおに出て行けばよかったかもしれなかった。わたしたちは巡査にたてをつくほどの力はないのであったが、しかし親方はそうは思わなかった。
かれはたかが犬を連《つ》れていなかを興行《こうぎょう》いて回る見世物師《みせものし》の老人《ろうじん》ではあったが、ひじょうに気位《きぐらい》が高かったし、権利《けんり》の思想《しそう》をじゅうぶんに持っていたかれは、法律《ほうりつ》にも警察《けいさつ》の規律《きりつ》にも背《そむ》かないかぎりかえって警察から保護《ほご》を受けなければならないはずだと考えた。
そこで巡査《じゅんさ》が立ちのいてくれと言うと、かれはそれを拒絶《きょぜつ》した。
もっとも親方はひじょうにていねいであった。親方があまりはげしくおこらないとき、または他人をすこし愚弄《ぐろう》(ばかにする)しかけるときするくせで、まったくかれはそのイタリア風の慇懃《いんぎん》(ばかていねい)を極端《きょくたん》に用《もち》いていた。ただ聞いていると、かれはなにか高貴《こうき》な有力《ゆうりょく》な人物と応対《おうたい》しているように思われたかもしれなかった。
「権力《けんりょく》を代表せられるところの閣下《かっか》よ」とかれは言って、ぼうしをぬいでていねいに巡査《じゅんさ》におじぎをした。「閣下は果《は》たして、右の権力より発動しまするところのご命令《めいれい》をもって、われわれごときあわれむべき旅芸人《たびげいにん》が、公園においていやしき技芸《ぎげい》を演《えん》じますることを禁止《きんし》せられようと言うのでございましょうか」
巡査《じゅんさ》の答えは、議論《ぎろん》の必要《ひつよう》はない、ただだまってわたしたちは服従《ふくじゅう》すればいいというのであった。
「なるほど」と親方は答えた。「わたくしはただあなたがいかなる権力《けんりょく》によって、このご命令《めいれい》をお発しになったか、それさえ承知《しょうち》いたしますれば、さっそくおおせつけに服従《ふくじゅう》いたしますことを、つつしんで誓言《せいごん》いたしまする」
この日は巡査《じゅんさ》も背中《せなか》を向けて行ってしまった。親方はぼうしを手に持ってこしを曲げたまま、にやにやしながら、旗《はた》を巻《ま》いて退《しりぞ》く敵《てき》に向かって敬礼《けいれい》した。
けれどその翌日《よくじつ》も、巡査はまたやって来た。そうしてわたしたちの芝居小屋《しばいごや》の囲《かこ》いのなわをとびこえて、興行《こうぎょう》なかばにかけこんで来た。
「この犬どもに口輪《くちわ》をはめんか」と、かれはあらあらしく親方に向かって言った。
「犬に口輪をはめろとおっしゃるのでございますか」
「それは
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