りさせたことについてかれに質問《しつもん》した。どうしてかれが犬やさるやわたしに対してあんなにしんぼう強くやれるのであろうか。
かれはにっこり笑《わら》った。「おまえは百姓《ひゃくしょう》たちの仲間《なかま》にいて、手あらく生き物を取りあつかっては、言うことを聞かないと棒《ぼう》でぶつようなところばかり見てきたのだろう。だがそれは大きなまちがいだよ。手あらくあつかったところでいっこう役に立たない。優《やさ》しくしてやればたいていはうまくゆくものだ。だからわたしは動物たちに優しくするようにしている。むやみにぶてばかれらはおどおどするばかりだ。ものをこわがるとちえがにぶる。それに教えるほうでかんしゃくを起こしては、ついいつもの自分とはちがったものになる。それではいまおまえに感心されたようなしんぼう力は出なかったろう。他人を教えるものは自分を教えるものだということがこれでわかる。わたしが動物たちに教訓《きょうくん》をあたえるのは、同時にわたしがかれらから教訓を受けることになるのだ。わたしはあれらのちえを進めてやったが、あれらはわたしの品性《ひんせい》を作ってくれた」
わたしは笑《わら》った。それがわたしにはきみょうに思われた。でもかれはなお続《つづ》けた。
「おまえはそれをきみょうだと思うか。犬が人間に教訓《きょうくん》を授《さず》けるのはきみょうだろう。だがこれはほんとうだよ。
すると主人が犬をしこもうと思えば、自分のことをかえりみなければならない。その飼《か》い犬《いぬ》を見れば主人の人がらもわかるものだ。悪人の飼っている犬はやはり悪ものだ。強盗《ごうとう》の犬はどろぼうをする。ばかな百姓《ひゃくしょう》が飼い犬はばか[#「ばか」に傍点]で、もののわからないものだ。親切な礼儀《れいぎ》正しい人は、やはり気質《きしつ》のいい犬を飼っている」
わたしはあしたおおぜいの前に現《あらわ》れるということを思うと、胸《むね》がどきどきした。犬やさるはまえからもう何百ぺんとなくやりつけているのだから、かえってわたしよりえらかった。わたしがうまく役をやらなかったら、親方はなんと言うだろう。見物はなんと言うだろう。
わたしはくよくよ思いながらうとうとねいった。そのゆめの中で、おおぜいの見物が、わたしがなんてばかだろうと言って、腹《はら》をかかえて笑《わら》うところを見た。
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