そのみっともない子どもというのはむろんぼくだった。そこでぼくはもうその子とは行かないことにした。ぶたれるのは痛《いた》いけれど、そんなことをしかもおおぜいの人の前で言われるのはもっとつらい。きみはだれからも、おまえはみにくいと言われたことがないから知るまい。だがぼくは……さてとうとうガロフォリは、ぶってもたたいてもぼくには効《き》き目《め》がないのをみて、ほかのしかたを考えた。それは毎晩《まいばん》ぼくの晩飯《ばんめし》のいもを減《へ》らすのだ。きさまの皮はいくらひっぱたいても平気で固《かた》いが、胃《い》ぶくろはひもじいだろうと言った。それはつらいが、でもぼくのねずみの見世物を見ている往来《おうらい》の人に向かって、どうか一スーください、くださらないと、今夜はおいもが食べられませんとは言われない。人はそんなことを言ったって、なにもくれるものではないよ」
「じゃあ、どうするとくれるの」
「それはきみ、だれだって自分の心を満足《まんぞく》させるためにくれるのだ。なんでもなく人に物をくれるものではないよ。その子どもがかわいらしくって、きれいであるか、あるいはその人たちの亡《な》くした子どものことを思い出させるとかいうならくれる。子どもはおなかがすいているからかわいそうだと思って、くれる者はない。ああ、こんなことで長いあいだにぼくは世の中の人の心持ちがわかってきた。ねえ、きょうは寒いじゃないか」
「ああ、ひどい寒さだね」
「ぼくはこじきをしてから、だんだん太れないで青くなった」と少年は続《つづ》いて言った。「ぼくはずいぶん青い顔をしている。それでぼくはたびたび人が、あのびんぼう人の子どもはいまに飢《う》えて死ぬだろうと言っているのを聞いた。だが苦しそうな顔つきは、楽しそうな顔つきではできないことをしてくれる。その代わりひじょうにひもじい目をこらえなければならない。とにかくおかげでだんだんぼくを気のどくがる人が近所にできた。みんな、ぼくのもらいの少ないときにはパンやスープをめぐんでくれる。これはぼくのいちばんうれしいときで、ガロフォリにぶたれもしないし、晩飯《ばんめし》にいもがもらえなくっても、どこかでなにか昼飯《ひるめし》にもらって食べて来るから苦しいこともなかった。けれどある日ガロフォリが、ぼくが水菓子屋《みずがしや》にもらった一さらのスープを飲んでいるところを見つける
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