たしのような老《お》いぼれになんの技術《ぎじゅつ》がありますものか」とかれは冷淡《れいたん》に答えた。
「うるさいやつとおぼしめすでしょうが」と婦人《ふじん》はまた始めた。
「なるほどあなたのようなまじめなかたの好奇心《こうきしん》を満足《まんぞく》させてあげましたことはなによりです」とかれは言った。「犬使いにしては少し歌が歌えるというので、あなたはびっくりしておいでだけれど、わたしはむかしからこのとおりの人間ではありませんでした。これでも若《わか》いじぶんにはわたしは……いや、ある大音楽家の下男《げなん》でした。まあおうむのように、わたしは主人の口まねをして覚《おぼ》えたのですね。それだけのことです」
婦人《ふじん》は答えなかった。かの女は親方の顔をまじまじと見た。かれもつぎほのないような顔をしていた。
「さようなら、あなた」とかの女は外国なまりで言って、「あなた」ということばに力を入れた。
「さようなら。それからもう一度今夜味わわせていただいた、このうえないゆかいに対してお礼を申し上げます」こう言ってカピのほうをのぞいて、ぼうしに金貨《きんか》を一|枚《まい》落とした。
わたしは親方がかの女を戸口まで送って行くだろうと思ったけれど、かれはまるでそんなことはしなかった。そしてかの女がもう答えない所まで遠ざかると、わたしはかれがそっとイタリア語で、ぶつぶこごとを言っているのを聞いた。
「あの人はカピに一ルイくれましたよ」とわたしは言った。そのときかれは危《あぶ》なくわたしにげんこを一つくれそうにしたけれど、上げた手をわきへ垂《た》らした。
「一ルイ」とかれはゆめからさめたように言った。「ああ、そうだ、かわいそうに、ジョリクールはどうしたろう。わたしは忘《わす》れていた。すぐ行ってやろう」
わたしはそうそうに切り上げて、宿《やど》へ帰った。
わたしはまっ先に宿屋《やどや》のはしごを上がって部屋《へや》へはいった。火は消えてはいなかったが、もうほのおは立たなかった。
わたしは手早くろうそくをつけた。ジョリクールの声がちっともしないので、わたしはびっくりした。
やがてかれが陸軍大将《りくぐんたいしょう》の軍服《ぐんぷく》を着て、手足をいっぱいにつっぱったまま、毛布《もうふ》の上に横になっているのを見た。かれはねむっているように見えた。
わたしはからだをかがめ
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