乗《の》ってしおしおと帰《かえ》っていきました。その後《あと》から、家来《けらい》たちが、馬《うま》のくらやくつわをはずして、ついていきました。けれどいくらいい馬《うま》でも、死《し》んだ馬《うま》をかついでいくことはできないので、それには下男《げなん》を一人《ひとり》後《あと》に残《のこ》して、死《し》んだ馬《うま》の始末《しまつ》をさせることになりました。さっきからこの様子《ようす》を見《み》ていた若者《わかもの》は、「昨日《きのう》は一|本《ぽん》のわらがみかん三つになり、三つのみかんが布《ぬの》三|反《たん》になった。こんどは三|反《たん》の布《ぬの》が馬《うま》一|匹《ぴき》になるかも知《し》れない。」と思《おも》いながら、下男《げなん》のそばに近《ちか》づいて、
「もし、もし、その馬《うま》はどうしたのです。大《たい》そうりっぱな、いい馬《うま》ではありませんか。」
といいました。下男《げなん》は、
「ええ、これは大金《たいきん》を出《だ》して、はるばる陸奥国《むつのくに》から取《と》り寄《よ》せた馬《うま》で、これまでもいろんな人がほしがって、いくらでも金《かね》は出《だ》すから、ゆずってくれないかと、ずいぶんうるさく申《もう》し込《こ》んできたものですが、殿《との》さまが惜《お》しがって、手放《てばな》そうともなさらなかったのです。それがひょんなことで死《し》んでしまって、元《もと》も子《こ》もありません。まあ、皮《かわ》でもはいで、わたしがもらって、売《う》ろうかと思うのですが、旅《たび》の途中《とちゅう》ではそれもできないし、そうかといってこのまま往来《おうらい》に捨《す》てておくこともできないので、どうしたものか、困《こま》っているところです。」
といいました。若者《わかもの》は、
「それはお気《き》の毒《どく》ですね。では馬《うま》はわたしが引《ひ》き受《う》けて、何《なん》とか始末《しまつ》して上《あ》げますから、わたしにゆずって下《くだ》さいませんか。その代《か》わりにこれを上《あ》げましょう。」
といって、白《しろ》い布《ぬの》を一|反《たん》出《だ》しました。下男《げなん》は死《し》んだ馬《うま》が布《ぬの》一|反《たん》になれば、とんだもうけものだと思《おも》って、さっそく馬《うま》と取《と》りかえっこをしました。その上、「もしか若者《わかもの》の気《き》がかわって、馬《うま》の死骸《しがい》なんぞと取《と》りかえては損《そん》だと考《かんが》えて、布《ぬの》を取《と》り返《かえ》しにでも来《く》ると大《たい》へんだ。」と思《おも》って、後《あと》をも見返《みかえ》らずに、さっさと駆《か》けて行ってしまいました。
五
若者《わかもの》は、下男《げなん》の姿《すがた》が遠《とお》くに見《み》えなくなるまで見送《みおく》りました。それからそこの清水《しみず》で手《て》を洗《あら》いきよめて、長谷寺《はせでら》の観音《かんのん》さまの方《ほう》に向《む》いて手を合《あ》わせながら、
「どうぞこの馬《うま》をもとのとおりに生《い》かして下《くだ》さいまし。」
と、目《め》をつぶって一生懸命《いっしょうけんめい》にお祈《いの》りをしました。
そうすると死《し》んでいた馬《うま》がふと目をあいて、やがてむくむく起《お》き上《あ》がろうとしました。若者《わかもの》は大《たい》そうよろこんで、さっそく馬《うま》の体《からだ》に手《て》をかけて起《お》こしてやりました。それから水《みず》を飲《の》ませたり、食《た》べ物《もの》をやったりするうちに、すっかり元気《げんき》がついて、しゃんしゃん歩《ある》き出《だ》しました。
若者《わかもの》は、近所《きんじょ》で布《ぬの》一|反《たん》の代《か》わりに、手綱《たづな》とくつわを買《か》って馬《うま》につけますと、さっそくそれに乗《の》って、またずんずん歩《ある》いて行きました。
その晩《ばん》は宇治《うじ》の近《ちか》くで日が暮《く》れました。若者《わかもの》はゆうべのようにまた布《ぬの》一|反《たん》を出《だ》して、一|軒《けん》の家《いえ》に泊《と》めてもらいました。
その明《あ》くる朝《あさ》早《はや》くから、若者《わかもの》はまた馬《うま》に乗《の》って、ぽかぽか出《で》かけました。もう間《ま》もなく京都《きょうと》の町《まち》に近《ちか》い鳥羽《とば》という所《ところ》まで来《き》かかりますと、一|軒《けん》の家《いえ》で、どこかうち中《じゅう》よそへ旅《たび》にでも立《た》つ様子《ようす》で、がやがやさわいでおりました。若者《わかもの》はふと考《かんが》えました。
「この馬《うま》をうかうか京都《きょうと》まで引《ひ》っ張《ぱ》って行《い》って、もし知《し》っている者《もの》にでも逢《あ》って、盗《ぬす》んで来《き》たなぞと疑《うたが》われでもしたら、とんだ迷惑《めいわく》な目《め》にあわなければならない。ちょうどこのうちの人たちはよそへ行くところらしいから、きっと馬《うま》が入《い》り用《よう》だろう。ここらで売《う》って行《い》く方《ほう》が安心《あんしん》だ。」
こう思《おも》って、若者《わかもの》は、
「もしもし、安《やす》くしておきますから、この馬《うま》を買《か》って下《くだ》さいませんか。」
といいました。するとそこのうちの人たちは、なるほどそれは有《あ》り難《がた》いが、安《やす》く売《う》るといってもさしあたりお金《かね》がない。その代《か》わり田《た》とお米《こめ》を分《わ》けて上《あ》げるから、それと取《と》りかえっこなら、馬《うま》をもらってもいいといいました。若者《わかもの》は、
「わたしは旅《たび》の者《もの》ですから、田《た》やお米《こめ》をもらっても困《こま》りますが、せっかくおっしゃることですから、取《と》りかえっこをしましょう。」
とふしょうぶしょうにいいました。
「そうですか。では馬《うま》をはいけんしよう。どれどれ。」
と向《む》こうの男はいいながら、馬《うま》に乗《の》ってみて、
「どうもこれはすばらしい馬《うま》だ。取《と》りかえっこをしてもけっして惜《お》しくはない。」
といって、近《ちか》くにある稲田《いなだ》を三|町《ちょう》と、お米《こめ》を少《すこ》しくれました。そして、
「ついでにこの家《いえ》もお前《まえ》さんにあずけるから、遠慮《えんりょ》なく住《す》まって下《くだ》さい。わたしたちは当分《とうぶん》遠方《えんぽう》へ行って暮《く》らさなければなりません。まあ、寿命《じゅみょう》があって、また帰《かえ》って来《く》ることがあったら、そのとき返《かえ》してもらえばいい。また向《む》こうで亡《な》くなってしまったら、そのまま、この家《いえ》をお前《まえ》さんのものにして下《くだ》さい。べつに子供《こども》もないことだから、後《あと》でぐずぐずいうものはだれもないのです。」
といって、家《いえ》まであずけて立《た》って行きました。
若者《わかもの》はとんだ拾《ひろ》い物《もの》をしたと思《おも》って、いわれるままにその家《いえ》に住《す》みました。たった一人《ひとり》の暮《く》らしですから、当分《とうぶん》はもらったお米《こめ》で、不自由《ふじゆう》なく暮《く》らしていきました。
そのうちに人《ひと》を使《つか》って田《た》を作《つく》らせて、三|町《ちょう》の田《た》の半分《はんぶん》を自分《じぶん》の食料《しょくりょう》に、あとの半分《はんぶん》を人に貸《か》して、だんだんこの土地《とち》に落《お》ち着《つ》くようになりました。
秋《あき》になって刈《か》り入《い》れをするころになると、人に貸《か》した方《ほう》の田《た》はあたり前《まえ》の出来《でき》でしたが、自分《じぶん》の分《ぶん》に作《つく》った方《ほう》の田《た》は大《たい》そうよくみのりました。それからというものは、風《かぜ》でちりを吹《ふ》きためるように、どんどんお金《かね》がたまって、とうとう大金持《おおがねも》ちになりました。家《いえ》をあずけて行《い》った人《ひと》も、そのまま幾年《いくねん》たっても帰《かえ》って来《き》ませんでしたから、家《いえ》もとうとう自分《じぶん》のものになりました。
そのうちに、若者《わかもの》はいいお嫁《よめ》さんをもらって、子供《こども》や孫《まご》がたくさん出来《でき》ました。そしてにぎやかなおもしろい一生《いっしょう》をおくるようになりました。
一|本《ぽん》のわらが、とうとう、これだけの福運《ふくうん》をかき寄《よ》せてくれたのです。
底本:「日本の古典童話」講談社学術文庫、講談社
1983(昭和58)年6月10日第1刷発行
入力:鈴木厚司
校正:林 幸雄
2006年7月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
楠山 正雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング