アとにしてください――
『さて、あるとき、マッチの束《たば》がございました。そのマッチは、なんでもじぶんの生まれのいいことをじまんにしていました。けいずをただすと、もとは大きな赤もみ[#「もみ」に傍点]の木で、それがちいさなマッチの軸木《じゅくぎ》にわられて出てきたのですが、とにかく、森のなかにある古い大木ではありました。ところでマッチはいま、ほくち箱とふるい鉄なべのあいだに坐っていました。で、こういうふうに、若いときの話をはじめました。マッチのいうには、「そうだ、わたしたちが、まだみどりの枝のうえにいたときには、いや、じっさい、みどりの枝のうえにいたのだからな。まあ、そのじぶんは毎日、朝と晩に、ダイヤモンドのお茶をのんでいた。それはつまり、露のことだがね。さて、日がでさえすれば、一日のどかにお日さまの光をあびる、そこへ小鳥たちがやって来て、お話をしてきかせてくれたものだ。なんでも、わたしたちがたいそうなお金持だったということはよく分かる。なぜなら、ほかの広い葉の木たちは、夏のあいだだけきものを着るが、わたしたちの一族にかぎって、冬のあいだもずっと、みどりのきものを着つづけていたものな。ところが、ある日、木こりがやってきて 森のなかにえらい革命《かくめい》さわぎをおこした、それで一族は、ちりぢりばらばらになってしまった。でも、宗家《そうけ》のかしらは第一等の船の親柱に任命されたが、その船はいつでも世界じゅう漕《こ》ぎまわれるというりっぱな船だ。ほかの枝も、それぞれの職場《しょくば》におちついている。ところで、わたしたちは、いやしい人民どものために、あかりをともしてやるしごとを引きうけた。そういうわけで、こんな台所へ、身分のあるわれわれが来たのも、まあはきだめにつる[#「つる」に傍点]がおりたというものだ。」
「わたしのうたう歌は、すこし調子《ちょうし》がちがっている。」と、マッチのそばにいた鉄なべがいいました。「[#「「」は底本では欠落]わたしが世の中に出て来たそもそもから、どのくらい、わたしのおなかで煮たり沸かしたり、そのあとたわしでこすられたか分からない。わたしは徳用でもち[#「もち」に傍点]のよいことを心がけているので、このうちではいちばんの古参と立てられるようになった。わたしのなによりのたのしみは、食事のあとで、じぶんの居場所におさまって、きれいにみがかれて
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