たにしの出世
楠山正雄

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)屋敷《やしき》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)長者|屋敷《やしき》

[#]:入力者注。傍点の位置を示す
(例)ふるいすき[#「すき」に傍点]
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     一

 むかしあるところに、田を持って、畑を持って、屋敷《やしき》を持って、倉《くら》を持って、なにひとつ足りないというもののない、たいへんお金持ちのお百姓《ひゃくしょう》がありました。それで村いちばんの長者《ちょうじゃ》とよばれて、みんなからうらやましがられていました。
 この長者とおなじ村に、これはまた持っているものといっては、ふるいすき[#「すき」に傍点]とくわ[#「くわ」に傍点]とかま[#「かま」に傍点]がいっちょうずつあるばかりという、たいへん貧乏《びんぼう》なお百姓の夫婦《ふうふ》がありました。長者の田を借《か》りて、お米やひえ[#「ひえ」に傍点]をつくって、その日その日のかすかなくらしを立てていました。
 夫婦はだんだん年をとって、毎日はたらくのが苦しくなりました。それでもじぶんたちの跡《あと》をついで、代《かわ》りにはたらいてくれる子どもがないので、あいかわらず夏も冬もなしに、水田《すいでん》のなかにつかって、ひる[#「ひる」に傍点]やぶよ[#「ぶよ」に傍点]にくわれながら汗水《あせみず》たらしてはたらいて、それでもひまがあると、水に縁《えん》のある神様だというので、水神《すいじん》さまのお社《やしろ》に、夫婦しておまいりしては、
「神さま、神さま、どうぞ子どもをひとりおさずけくださいまし。子どもでさえあれば、かえる[#「かえる」に傍点]の子でも、つぶ[#「つぶ」に傍点]の子でもよろしゅうございます」
といって、一生《いっしょう》けんめいいのりました。
 するとある日、きゅうにおかみさんは、からだじゅうがむずむずして、赤ちゃんが生みたくなりました。
「そらこそ水神《すいじん》さまのごりやくだぞ。さあ、早く神だなにお燈明《とうみょう》を上げないか」
 こういってさわいでいるうちに、おぎゃあともいわずに赤ちゃんが、それこそころりと、往来《おうらい》さきに、まるい石ころがころげ出すようにして生まれました。
 まったくの話、この子は、石ころのようにちいさく、まるっこいので、つぶ[#「つぶ」に傍点]、つぶ[#「つぶ」に傍点]とよばれている、たにしの子であったのです。
「つぶ[#「つぶ」に傍点]の子でもと申しあげたら、ほんとうに水神さまがたにしの子をくださった」
 夫婦《ふうふ》はこういって、でも、水神さまのお申《もう》し子《ご》だからというので、ちいさなたにしの子をおわんに入れて、水を入れて、そのなかでだいじにそだてました。
 五年たっても、十年たっても、つぶ[#「つぶ」に傍点]の子はやはりつぶ[#「つぶ」に傍点]の子で、いつまでもちいさくころころしていて、ちっとも大きくはなりませんでした。毎日、毎日、たべるだけたべてあとは一日ねてくらして、ああ[#「ああ」に傍点]とも、かあ[#「かあ」に傍点]とも、声ひとつ立てません。
 お百姓《ひゃくしょう》のおとうさんは、やはりいつまでも貧乏《びんぼう》で、あいかわらず長者《ちょうじゃ》の田をたがやして、年《ねん》じゅう休みなしに、かせいでいました。
「やれやれ、きょうも腰《こし》がいたいぞ」
と、ある日、おとうさんは背中《せなか》をたたきながら、地主《じぬし》の長者|屋敷《やしき》へ納める小作米《こさくまい》の俵《たわら》を、せっせとくら[#「くら」に傍点]につけていました。
 するうち、ふとあたまの上で、
「おとうさん、おとうさん、そのお米はわたいが持って行くよ」
と、いう声がしました。
 ふしぎにおもって、おとうさんがあおむいて見ると、軒《のき》さきの高いたなの上にのせられて、たにしの子が日向《ひなた》ぼっこしていました。
 たにしの子が口をきくはずがない、なにかの空耳《そらみみ》だろうとおもって、かまわずしごとをしていますと、また耳のはたで、
「おとうさん、おとうさん。わたいが持ってくってば」
とよぶ声がしました。口をきいたのは、やはりつぶ[#「つぶ」に傍点]の子だったのです。
「おとうさん、わたいはちいさいから馬をひいて行くことはできないけれど、米俵《こめだわら》の上にわたいをのせてくれれば地主《じぬし》さまのお屋敷《やしき》まで馬をつれてってきてあげるよ」
 たにしの子がずんずんそういって口をきくと、おとうさんも、おかあさんも、ほんとうにびっくりしてしまいました。でも、この子はなにしろ水神《すいじん》さまのお申《もう》し子《ご》だから、きっとかわったことができるのかもしれないとおもって、そうい
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