ぱっくりのんでしまいました。
まあ、そのおさかなのおなかのなかの暗いこと。そこは下水の橋下よりももっとまっ暗でした。それになかのせま苦しいといったらありません。でもすずの兵隊はしっかりと立って、銑剣肩につッぱりかえっていました。
おさかなはあっちこっちとおよぎまわりました。それはさんざん、めちゃくちゃに動きまわったあと、きゅうにしずかになりました。ふと、稲妻《いなづま》のようなものが、さしこんで来ました。かんかんあかるいひる中でした。たれかが大きな声で、
「やあ、すずの兵隊が。」といいました。
おさかなは、つかまえられて、魚市場へ売られて、買われて、台所へはこばれて、料理番の女中が大きなほうちょうで、おなかをさいたのです。女中は、そのとき兵隊を両手でつかんでおへやへ持っていきますと、みんなは、おさかなのおなかのなかの旅をして来ためずらしい勇士をみたがってさわいでいました。でもすずの兵隊はちっともとくいらしくはありませんでした。みんなは兵隊をつくえの上にのせました。すると――どうでしょう、世の中にはずいぶんな奇妙なことがあるものですね。すずの兵隊は、もといたそのへやへまたつれてこられたのです。兵隊はやはりせんの男の子にあいました。おなじおもちゃがそのうえにのっていました。かわいい踊ッ子のいるきれいなお城もありました。むすめはやはり片足でからだをささえて、片足を空にむけていました。この子もやはりしっかり者のなかまなのでした。これがすっかりすずの兵隊のこころをうごかしました。で、もう少しですずの涙をながすところでした。でも、そんなことは男のすることではありません。兵隊はむすめをじっとみました。むすめも兵隊の顔をみました。けれどおたがいになんにもものはいいませんでした。
そのとき、ちいさい男の子のひとりが、すずの兵隊をつかんで、いきなりだんろ[#「だんろ」に傍点]のなかへなげこみました。どうしてこんなことになったのか、きっとかぎタバコの黒い小鬼《こおに》のしわざにちがいありません。
すずの兵隊はあかあかと光につつまれながら立っていました。そのうち、ひどいあつさをかんじて来ました。でもこのあつさはほんとうの火であついのか、心臓のなかの血がもえるのであついのか、わかりませんでした。やがてからだの色はすっかりはげてしまいました。でも、これも長旅のあいだでとれたのか、心のかなしみのためにはげたのか、それもわかりません。兵隊は踊ッ子の顔をみました。むすめも兵隊を見返しました。そのうちからたがとろけていくようにおもいました。でも、やはり銃剣肩に、しっかり立っていました。そのとき出しぬけに戸がばたんとあいて。吹きこんだ風が踊ッ子をさらいますと、それはまるで空をとぶ魔女《まじょ》のようにふらふらと空をとびながら、だんろのなかの、ちょうど兵隊のいるところへ、まっしぐらにとびこんで来ました。とたんに、ぱあっとほのおが立って、むすめはきれいに焼けうせてしまいました。
するうち、すずの兵隊は、だんだんとろけて、ちいさなかたまりになりました。
そうして、あくる日女中が、灰をかきだしますと、兵隊はちいさなすず[#「すず」は底本では「ずず」]のハート形になっていました。けれども踊ッ子のほうは、金ぱくだけがのこって、それは炭のようにまっくろにこげていました。
[#挿絵(fig42379_02.png)入る]
底本:「新訳アンデルセン童話集第一巻」同和春秋社
1955(昭和30)年7月20日初版発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
入力:大久保ゆう
校正:秋鹿
2006年1月18日作成
青空文庫作成ファイル:
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