見ていましたが彼はなかなか眼をさまそうとはしません。待ちくたびれた私もいつか机に倚《よ》ったまま夢の中へ吸いこまれて行きました。それは小田君と二人で赤や黄や綺麗なチューリップの花園を駈廻っている夢でした、そんなことでその夜は送ってしまったのです。
翌日小田君の家の人が私のところへゆくと出たきり帰らないと心配して尋ねて来たのですが、小田君はまだぐっすり寝込んで身動きもしないのでした。すこし変だというので小田君の弟がゆり起したのですが、それきり眼をさまさないのです。医者が来ましたが、その医者のいうのでは小田君は催眠剤の中毒で死んだというのです。死んだと。
私には信じられませんでした。小田君が死ぬなんてことは考えられないことでした。ゆうべだって元気に花園(どこだったか忘れたが)を駈廻っていたじゃないか、きっと小田君はいい夢を、面白い夢を見ているので起きようとしないのだ。――そうより外に私には考えられませんでした。
小田君はきっと面白い夢をみているのです。私に知らせないなんてずるいぞ、そう思うと私は嬉しくて嬉しくてしようがないのでした。小田君だけが私の夢の世界を知ってくれたのだ、愉快じゃないか、私は跳び廻って思うさま笑って笑って笑い抜きました。
そこでふい[#「ふい」に傍点]と記憶がきれて、気がつくとこの精神病院の赤茶けた畳の上にいるのでした。そうしてもう二週間にもなったでしょう。到頭人々は私を気違いにしてしまったのです。誰が気なんか違うものですか、小田君だって決して死んではいないのです。もう少し前まで私とどこかの喫茶店で詩の話をしていたじゃありませんか、きっと、もうすぐ「やあ、どうした」と尋ねて来るに違いありません。
私は時々来る冷たい顔をした医者にこの話を熱心にするのですが彼等はてんで聞いてもくれないのです。私はこの素晴らしい世界を誰も知ってくれないのが淋しくてたまらないのです。
[#地付き](『秋田魁新報』夕刊、昭和七年六月三、四、七〜九日)
底本:「火星の魔術師」国書刊行会
1993(平成5)年7月20日初版第1刷発行
底本の親本:「夢鬼」古今荘
1936(昭和11)年発行
初出:「秋田魁新報夕刊」
1932(昭和7)年6月3、4、7〜9日
入力:門田裕志
校正:川山隆
2006年12月30日作成
青空文庫作成ファイル:
このファ
前へ
次へ
全8ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
蘭 郁二郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング