ハッキリは解《わか》らなかったけれど、うしろ姿で山鹿と女とだ、と思った。それがZ海岸で二人とも草叢に隠れて、次に僕が行った時は、山鹿らしい男の姿はなく、女だけが殺されていた、という訳さ』
『じゃ、山鹿は隠れていたんだろう』
『うん、警官もそういったよ。だが、草叢に殺されていた女すら、白服だったから見つけ出したんだから、矢ッ張り白服を着ていたもう一人の男が隠れていても、すぐ解る筈なんだがね。それに、見えなくなるばかりか、僕が知らせに行こうとする、向うの方から、のこのこやって来た男が、山鹿なんだ』
『変な話だな、白服を着ていたかい』
『いや、浴衣《ゆかた》がけに、釣竿をかついでいたよ、夜釣りに行くんだ、といってね』
『前の白服、というのは慥《たしか》に山鹿だったのかい』
『さあ、……山鹿の家《うち》から出て来たのは慥《たしか》なんだがね、なにしろ暗がりとうしろ姿なんでね』
『そろそろあやしくなって来たナ。然し、これはその山鹿らしい白服の男が消えてなくなったところに謎があるね。
 白服の男を山鹿として、それが女を殺し、なんらかの方法で姿を消して、家にとって[#「とって」に傍点]帰し、着かえてから又やって来た、という時間があるかい』
『ないね。その時間はたった二三分だった。山鹿の家まではそこから急いで片道十分はかかる――』
『ふーん』
 春生も黙ってしまったが、遉《さすが》の畔柳博士も、万能探偵ではないと見えて、こんどは黙々として鷺太郎の話ばかりを聞いていた。
 夏の夜だというのに、ひどく冷《ひや》っとする風が吹いて来た。もう、暁方《あけがた》が近いらしい。
 三人は顔を見合わすと、腫《はれ》ぼったい瞼《まぶた》を上げて、
『なんだかぼんやりして来た、一と寝入りして、ゆっくり考えよう……』
 と呟《つぶや》くようにいった春生の言葉に、黙って頷《うなず》いた。

      六

 翌日――。
 真夏の太陽は光々と輝いて、サナトリウムの全景は、まばゆいばかりの光線に満たされ、鷺太郎がベッドに寝ころんだ儘《まま》、ゆうべのことをあれこれと考えていると、ジーッ、ジーッと圧迫されるような油蝉《あぶらぜみ》の声が、あたり一面、降るように聴えていた。
 先程《さきほど》、春生が一泳ぎして来る、と行ったきり、なかなか帰って来なかった。春生も矢張りあの疑問が解けずにいるらしいのだ。
 畔柳副院長の姿も見えなかった。おそらく医局で診察に追われているのであろう。
 この暑い日盛《ひざか》りを、当てもなく歩いても仕様がないと思っていた鷺太郎は、結局一日をぽかんと暮してしまった。
 ただ、その間、あの殺人の事件は、早くも看護婦の間にも拡まったらしく、盛《さかん》に噂は聞くのだけれど、可怪《おか》しなことには、その殺された美少女の身元は勿論、名前さえも、杳《よう》として不明であったのだ。
 それは朝刊にも、又、早くも届けられた、インクの匂いのぷうんとする夕刊にも、不明とばかり報ぜられていた。
 それは実に不思議なことだった。
 あれほどの美少女が殺されながら、そして、新聞に写真まで出され、警察でも必死の活動をしているのであろうに、更にわからなかった。
 被害者の身許もわからない、ということは、今の捜査法では手のつけられぬ難物なのである。
 この豪華なK――海浜都市で行われた殺人の、その類《たぐい》まれなほどの断髪洋装の(その身なりから見て、中流以上の者であることは、想像されたが)美少女の身許が、まるで木の股から生れたものであるかのように、全く解らない、というのは実《じつ》もっておかしな話であった。而《しか》も、それはこの事件に終止符が打たれてしまってからも、遂《つい》にわからなかったのである――。
      ×
 ――軈《やが》て、日が暮れ、このSサナトリウムにも灯《ひ》がともった。
 鷺太郎は、この日一日位、焦燥を感じた日はなかった。このあいついで起った美少女殺人事件の下手人が、かつて自分をもペテンにかけた山鹿十介であることを、もう動かすことの出来ぬものであると、確《かた》く信じながらも、最後の一寸した躓《つまず》きのために、ハッキリと断言することが出来ないでいるのだ。
 そんなことを考えていると、
『やあ――』
 畔柳博士が這入って来た。
『一寸《ちょっと》、面白いものを見せますから一緒に来ませんか』
『何んですか……行くことは行きますが』
『実験ですよ、見て下さい私を――』
 そういわれてみると、博士はいつもとは違って白ワイシャツに白の半ズボンを穿《は》いていた。恰度《ちょうど》、あのゆうべみた白服の男と同じ支度《こしらえ》であったのだ。
 門を出ると、春生も白ズボンを穿いてまっていた。三人は黙々としてZ海岸の方に急いだ。
 間もなく、ゆうべの事件のあ
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