わずハッとしたよ、……前から求めていた理想的な体だからな、それに行商の女だから何処へ行っちまったんか、解らないだろう、実際絶好だったよ……」
 そんなことをいうと、もう写真をとる用意をはじめた。
「撮るのかい……だけどなぜ硝子の箱なんかに入れたんだ、写真を撮るだけなら、殺さなくてもよかったんだろう――」
 洵吉にはまだ、総てが疑問だった。
「僕はこの体を見附けるためには、随分苦労したんだぜ、それが向うから飛込んで来たんだ、……殺した訳、それはね――」
 水木は、一寸、言葉を切ったが、すぐ続けた。
「それはね……、ふ、ふ、この素晴らしい健康な肉体が、次第に腐って行く、その過程を撮ろうというんだ、驚いたかい。
 このふっくりとした腹も、明日はぺこんと凹むに違いない、眼の玉の溶ろけて行くところや、股の肉のべろっと腐り落ちて行くところを撮ろうというんだ、毎日一枚位ずつね、何時までかかるかしら……」
 この恐ろしい計画をきいた瞬間、流石に今まで常人の想像もしないような醜悪な写真を手伝っていた洵吉も、思わずグッと胃の中のものが、咽喉元にこみ上げて来て、軽い眩暈《めまい》を感じた。
 この硝子箱の中の、健康な娘の死体から、何時か赤黒い腐液が、じくじくと滲みだし、表皮がべろっと剥げると、そこには盛上った蛆虫が……。藍紫色に腐った臓器や肉塊が、骨からずるり[#「ずるり」に傍点]と滑って、硝子箱の底にどろどろと澱んだ腐汁になってしまう……。むき出された骨の上を、列をなして舐め廻る蛆虫の蠢めき、又、それに真赤な唇をぺろぺろ舐めながら、一生懸命ピントを合せている水木の姿……。
 洵吉は、そんな嘔吐を催すような想像に、彼女の死体にはまだ死後硬直も来ず、その上密閉された硝子箱の中に入れられていることを、よく承知しながらも、思わずムッと鼻口を圧迫されるような臭気を感じて、もうこれ以上、どうにもこの部屋にいられなくなってしまった。
 彼は突飛ばされるように、屋根裏のスタジオから駈下りると下にきてはじめて安心して空気が吸えるような気がした。
 少しして水木が、平気な顔をして、いや寧ろ希望に輝いた顔色を見せながら、下りて来た。
 そしてまだ洵吉が、椅子に腰かけた儘、息をきらしているのを、嗤《わら》うように見ていたが、それでも友達甲斐に、コップに水を汲んできてくれた。
「寺田君、バカに驚ろいたようだね、……体は頑丈な割に、意気地がないね」
 彼にそういわれると、洵吉は一寸照れかくしに、汲んでくれた水を、がぶがぶ飲んで、やっと少し落着くことが出来た。
「水木君、一体、腐って行く女なんか撮ってどうするんだい……」
(俺はもう、御免蒙るよ……)
 洵吉は、少し言葉を強めて、訊きかえした。
「どうするって……、何時か君に話したろう、僕の一生一代の大願目の写真だ、題は『腐りゆくアダムとイヴ』っていうんだ、どうだ、ステキな題だろう……」
「アダムとイヴ?」
「腐りゆくアダムとイヴ、だ」
「イヴはいいけれども、アダムはこれから見つけるのかい」
(又人殺しを重ねようというのか!)
 洵吉は、なんともいえぬ、いやあな気持に襲われて来た。
 だが、水木は、平然として
「アダムはもう出来ているよ、アダムはずっ[#「ずっ」に傍点]と前から決ってるんだ。イヴが見つかるまで僕の手伝をして貰った人だよ……」
「えッ」
(ソレは、それは、このおれ[#「おれ」に傍点]ではないか!)
「ふ、ふ、もう顔色が変ってきたな。僕は浅草で逢った時から君の『甲種合格』の体に惚れていたんだ……どうだい気分は、さっきの水は味がヘンだったろう……」
「水木、俺を殺すんだな」
 洵吉は、大声で叫ぶと、水木に掴みかかろうとして椅子を刎除《はねの》けた。
 ダガ、もう薬が廻ってきたのであろうか、体には全然力がなく、不甲斐なくも、その儘床に前倒《のめ》ってしまったのだ。
 そして、大声で呪い、怒鳴っている筈の、自分の声も、洵吉の耳には、蚊の鳴くほどにも響かなかった。
 彼は薄れ行く意識の中に、もう足の先が、ジクジクと腐りはじめたような気がしてきた……。
[#地付き](「探偵文学」昭和十一年五月号)



底本:「火星の魔術師」国書刊行会
   1993(平成5)年7月20日初版第1刷発行
底本の親本:「夢鬼」古今荘
   1936(昭和11)年発行
初出:「探偵文学」
   1936(昭和11)年5月
入力:門田裕志
校正:川山隆
2006年12月30日作成
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