瞬間、あの採光用のため、ガラス張りになった屋根の半面が、きらり[#「きらり」に傍点]と光った。
(変ったことがなければいいが……)
 ガラスの光るのは、ちょいちょい見るのだが、今日に限って洵吉は、フトそんな気持に襲われた。尚も足を早めて、門をくぐり、玄関のドアーを引いた途端、
「おやっ……」
 と、到頭呟いてしまった。矢張、彼の予感通り、留守中何か起ったに違いないのだ。
 玄関の石畳には、水木の生活とは凡そ不釣合な地下足袋が投出されるように、脱がれて、黄金《きん》色のコハゼが、薄暗い玄関の中に、ずるそうに並んで光っていた。
 洵吉は急いで下駄をぬぐと、
「水木君、水木君……」
 と大きな声で呼びながら、家の中をうろうろと捜してみたが、その呼声は、あたりの壁にシーンと吸込まれて、水木の返事はなかった。
 彼は、方々捜して、屋根裏(そこは、天井との間が広くとってあって、あの屋根のガラス張りになっているスタジオだった)のドアーを、ぐい[#「ぐい」に傍点]と開けて
(水……)
 水木の名を呼ぼうとして、首を突っ込んだ、と同時に、あわてて、彼を制する水木の姿が眼に這入ったので、危うく、その声を呑んでしまった。
 だが、洵吉にも、すぐそのわけ[#「わけ」に傍点]が解った。水木が、あわてて制したのも、無理ではなかった、水木の足元には薄い襦袢《じゅばん》一枚の若い、健康そうな娘が、のびのびと寝ているではないか……。
 洵吉は、一寸、くすぐったい[#「くすぐったい」に傍点]気持になって、忍び足に水木の傍に寄ると、そっと、彼の肩をつついた。
「誰だい、君に女の友達が来ているとはしらなかった、……だけど、よく寝てるじゃないか」
「はッ、はッ、はッ」
 水木はいきなり[#「いきなり」に傍点]思いきった笑声で、部屋の空気を顫わせた。それは如何にも狂人のように不規則な、馬鹿高い哄笑だったので、洵吉は、思わずギクンとしながら、この女が眼を覚しはしないか、と心配したほどだった。
「寺田君、ヘンに誤解するなよ、この女は今日、タッタ今、逢ったばかりなんだぜ。……よく見ろよ、死んでるんだ――」
 洵吉は、その思いもかけぬ言葉と、緊張に歪んだ水木の奇怪な容貌に押されて、も少しで買って来たばかりの乾版を、取り落してしまうところだった。
「驚かなくてもいいよ。この女は行商の女さ、……生憎《あいにく》君がいなかったんで、一人でやっちまったよ」
 そういわれた時、彼は、あの玄関にあった地下足袋のコハゼを思い出した。
 ――それにしても恐ろしいのは、水木の巧妙な話術と、不思議に人を引きつける彼の魅力だ。洵吉の知っているだけでも大分前のことだが、あの踊子の花形である小川鳥子を、たった二日三日口説いて、全裸体の写真を撮らせ、今又この行商の女を巧みに誘上《おびきあ》げて(まさか玄関で殺《や》ったのではないだろう)殺してしまったのだ。
 いや現に、洵吉自身ですら、タッタ一度、二三時間の訪問で、すっかり[#「すっかり」に傍点]水木の捕虜《とりこ》となり、彼の意のままに、奇怪な写真の創造に欣々と、従う一個の傀儡《かいらい》となってしまっているではないか……。
 ぼんやりと彳《たたず》んだ洵吉は、考えるともなく、そんなことを思浮べてみた。けれど、
「さ、寺田君手伝ってくれたまえ……」
 そう耳元でいう水木の声に、ハッと気がつくと、もう今までの考えは、煙のように、どこへともなく揮発して、
「玄関にあんな足袋があると変だから、片づけなきゃいけないね……」
 そんな悪智慧をすら浮べる、彼だったのだ。

       六

 それから洵吉は、水木のいう儘に手伝ってその投出された行商娘の、襦袢まで剥ぎとってしまうと、スタジオの隣の物置にあった、大きな硝子箱(寺田は、前からこんなものがあるのは知っていたが、何に使うのか見当もつかなかった)を選び出して、彼女の死を、まるでこわれ[#「こわれ」に傍点]物でも扱うように、そっとその中に寝かした。
 そして蓋の硝子を閉め、縁《へり》をパテで詰めてしまうと、もう一遍、つくづくと彼女の、赤裸な姿体を見直してみた。
 硝子の箱の中に、のびのびと寝かされた彼女の様子は、まるで人魚の氷漬のように見事なものであった。ふさふさとした黒髪は、枕元に匐《はい》廻り、まだ色褪せぬ唇が、薄く開いて白い歯並の覗いているのが、如何にも楽しい夢をみているように思わせ、体全体の艶《つや》を含んだ小麦色の皮膚は、むっちり[#「むっちり」に傍点]として弾々たる健康を、惜気もなく振撒いているのだった。
 洵吉は、何故とはなく、ホッと息を漏らして、水木の方を振返ってみた。水木は彼の溜息をきいたのか、にやにやと笑いながら、
「どうだい、素晴らしいだろう、僕もはじめ(今日は――)と這入って来た時は、思
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