……体は頑丈な割に、意気地がないね」
彼にそういわれると、洵吉は一寸照れかくしに、汲んでくれた水を、がぶがぶ飲んで、やっと少し落着くことが出来た。
「水木君、一体、腐って行く女なんか撮ってどうするんだい……」
(俺はもう、御免蒙るよ……)
洵吉は、少し言葉を強めて、訊きかえした。
「どうするって……、何時か君に話したろう、僕の一生一代の大願目の写真だ、題は『腐りゆくアダムとイヴ』っていうんだ、どうだ、ステキな題だろう……」
「アダムとイヴ?」
「腐りゆくアダムとイヴ、だ」
「イヴはいいけれども、アダムはこれから見つけるのかい」
(又人殺しを重ねようというのか!)
洵吉は、なんともいえぬ、いやあな気持に襲われて来た。
だが、水木は、平然として
「アダムはもう出来ているよ、アダムはずっ[#「ずっ」に傍点]と前から決ってるんだ。イヴが見つかるまで僕の手伝をして貰った人だよ……」
「えッ」
(ソレは、それは、このおれ[#「おれ」に傍点]ではないか!)
「ふ、ふ、もう顔色が変ってきたな。僕は浅草で逢った時から君の『甲種合格』の体に惚れていたんだ……どうだい気分は、さっきの水は味がヘンだったろう……」
「水木、俺を殺すんだな」
洵吉は、大声で叫ぶと、水木に掴みかかろうとして椅子を刎除《はねの》けた。
ダガ、もう薬が廻ってきたのであろうか、体には全然力がなく、不甲斐なくも、その儘床に前倒《のめ》ってしまったのだ。
そして、大声で呪い、怒鳴っている筈の、自分の声も、洵吉の耳には、蚊の鳴くほどにも響かなかった。
彼は薄れ行く意識の中に、もう足の先が、ジクジクと腐りはじめたような気がしてきた……。
[#地付き](「探偵文学」昭和十一年五月号)
底本:「火星の魔術師」国書刊行会
1993(平成5)年7月20日初版第1刷発行
底本の親本:「夢鬼」古今荘
1936(昭和11)年発行
初出:「探偵文学」
1936(昭和11)年5月
入力:門田裕志
校正:川山隆
2006年12月30日作成
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