乳、臍《へそ》の中には、山も川も、森も谷も、そして風の音も、総てが油然《ゆうぜん》と混和されて、ぞよぞよと息づいているのだ。
――洵吉の烈しい動悸が、シーンとした部屋のうちにひびくと、ぽつんと隅の方で、黙って寺田の様子を見ていた水木は初めて薄く笑いながら、話しかけた。
四
「寺田君、バカに気に入ったようだな……。どうだい今日はもう遅いから、泊って行かないか、ここは僕一人だから気兼ねなんかないよ」
水木にそういわれ、はじめて、気がついて硝子越しに庭を見ると、妙に白けた月光の中にはもうねっとりとした闇が澱《よど》んで、真黒な風が、硝子戸の外を、蹌踉《よろめい》ていた。
「とにかく、もう遅いよ、よかったら叔父さんのところを引払って、ここで手伝ってくれないか、そうしたまえ、君も、いつまで叔父さんのところへいるつもりでもないんだろう、――写真もすきらしいし、恰度いいじゃないか」
そういって、水木は、真赤な唇を薄く結び、返事をせかすように、洵吉の顔を見詰めるのだった。
(叔父さん……)
その言葉を聞くと同時に、洵吉の眼の前には、あの鬱然とした長屋の片隅、赤ン坊の泣き声、赤茶けて妙に足にこびる[#「こびる」に傍点]ような畳、そして切込まれたような陰影を持った叔父の顔……が、連絡もなく現われては散った。
「ウン! 是非助手にしてくれたまえ……」
洵吉は、水木の言葉に飛附くように答えた。あの疲切った叔父のところで、気兼ねをしながら、世話になるより、この金持の水木の家で素晴らしく魅力のある写真の手伝をして暮した方が、どんなにまし[#「まし」に傍点]だか知れないと思われた。
こう決心した洵吉は、到頭その夜は水木のところへ泊ると翌日は大急ぎで叔父のところへ帰り、訳を話して少しばかりの荷物を受取ると、それからは、すっかり水木の家へ腰をすえて仕舞い、二人がかりで奇怪な「影」の創造に没頭してしまったのだ。
それは事実、今までの洵吉には、想像もつかなかったほど愉快なその日その日であった。
水木と洵吉とは、蛇が蛙を呑み込む瞬間を、大写しにして喜んだり、或る時は「絞首台の死刑囚」と題する写真を撮る為に、洵吉が芝居染みた扮装をして、陰惨なバックの前で、天井から吊るされた縄に、首を絞《くく》ってぶら下り――莫迦気たことには、光線の加減で、シャッターを長くした為、も少しで洵
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