持って来ておくれ」
「はい……」
呟くようにいった彼女は、急ぎ足で奥に行ったが、その時、慌てていたせいか不思議なことには手足を普通に振っていた。が、次に画をもって帰って来た時は、先程のような、右手右足の妙な歩き方になっていたのである。
「さあ、これじゃよ」
鷲尾老人は、そんなことには気づかぬらしく、古ぼけた画を私の前に拡げた。それは額縁入りの五十号位の画であった。
私は、ミケランジェロの画といえば、肉体の群団による壮大なリズムの創生と、そのためには細かい所や色などを最小限に制限したもので、同時代のラファエロの優雅さとは正反対のものである――という程度の知識しかなく、勿論今日まで実物など見たことはなかったのだけれど、さて、鷲尾老人が、この森閑として仄暗いバー・オパールの壁にたてかけて見せたその画は、なるほどミケランジェロのものかも知れぬ、と思われるような、寧ろ何処かで見たようを肉体群像のものであった。
「なるほど、ミケランジェロか。――しかしどこかでこんな構図のものを……」
「写真か何かで見た、っていうんじゃろう。その筈じゃよ、これはあの有名なシスティーン礼拝堂の大壁画『最後の審判』と同じなんじゃ。同じというより、これはその下絵か、又は特に頼まれての縮図じゃろうかね――いや、年代からいって、壁画を描いたあとで頼まれたものらしいナ」
「ほう、よくそんな細かい年代がわかりますね」
「わかるともさ――」
鷲尾老人は、いかにも得意満面といった様子で
「なにしろ、ちゃんと日附がついとるからの、この日附がついとるからこそわし[#「わし」に傍点]が大切にしとったのじゃよ、わし[#「わし」に傍点]はすべて数字ほど信頼出来るものはない、と信じておる。一たす一は二。これは大人でも子供でも同じことじゃ、ここらが数字のありがた味《み》、とでもいうかナ、はッははは、こんなことからもわし[#「わし」に傍点]には数学的な電気が性に合うらしいのじゃ。それで最も非数学的なもの、つまり恋愛というものを、じゃね、電気学的に闡明《せんめい》しようというのが、わし[#「わし」に傍点]の念願じゃ……、そのためには、この画も手離さなけりゃならん……」
老人は、そういいながら、その画を裏がえして、埃っぽいカンヴァスを指さしながら、
「どうじゃ、ちゃんと書いてあるじゃろう……、一五八二年一月十日とな」
成
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