っかりして下さい、と言おうとした時、案内も乞わずに飛込んで来た森源が、私の方には眼もくれず、
「ルミ、バカ!」
 そういって一生懸命に駈けて来たらしく、まだ息をはずませながら、睨みつけた。
 と、ルミは、そのまま硬直したように、床の上に、ガタンと倒れてしまった。その倒れた音はまるで椅子が倒れたように、ガタンという音だったのである。
 ルミは、それっきり、微動もしなかった。
 私は、怖る怖る森源の、血走った眼を見上げた。
「どうしたのです、一体――」
「…………」
 やっと私の方を振り向いた森源は、
「いやあ、失礼しました。お騒がせして済みません、とんだ騒ぎをしてしまって……」
「そんなことは一向に構いませんよ、だが、ひどい音をたてて倒れたようですが――」
「そうです、丁度、電気が切れたのです」
「えッ、電気が切れた?」
「おや、まだ気づかれなかったんですか、ルミ、このルミは私が半生の苦心を払って、やっと造りあげた電気人間なんですよ――」
「電気人間!」
「そうです、私が命よりも大切にしている電気人間なんです」
 私は、この時ほど驚いた事はなかった。たった今の今まで、私に好意をもってくれる美少女として、かすかながら好もしさを、いや、恋を覚えていた相手が、なんと電気人間であったとは――。文字通り愕然として、床に伸びているルミを見なおした。
 然し、そう聞いても、まだルミが人造人間だとは肯けなかった。
 なんという精巧品であろう、本物の人間の中にすら、ルミよりも粗悪品がかなりいるに相違ない。
「この美しい皮膚、瞳、これが人造でしょうか?」
「…………」
 森源は、そうです、というように、こっくりと頷くと、軈《やが》て思いきったように話し出した。一旦、口をきると彼の言葉は次第に熱を帯びて、想像もしなかったような、奇怪な事柄が、科学者らしいハッキリとした断定的な響きをもって、くり拡げられて行った。
「そうです、この皮膚は、極めて精巧なラバー・スキンです、恐らくこれだけでも一般に知れたならば、整形外科の大革命だといってもいいかも知れません。痣《あざ》や火傷のひっつりは見事に修覆されるでしょうし、その他の顔に瘢痕のある人、ひどく顔色の悪い人なども、このラバー・スキンをつけることによって、見違えるような溌剌とした美しい容貌となることが出来るんです。つまり化粧法も一大革命を受けるわけですね。このラバー・スキンという一種の肉面をつけることによって、顔色でも、髪の生え具合でも自由自在なのですからね。しかも、これは毛穴の営む生理作用にも、なんの障害もないのです。
 早い話が、旧式医学によって、腿の皮膚を剥して顔の傷口を繕ったなどということは、真ッ先に、後を断つに違いありませんよ。
 瞳にしたって、その奥につけられてある光電子管の作用で、虹彩の絞りまで生理的にやってのけるんです。その他ラバー・スキンを張られた義手、義足等、皆丁度人間の場合の神経のようにここでは電線が張りめぐらされていて、それに作用する電流で、御承知のような、完璧な動作をしますし、ジャイロスコープによって、彼女は、立つことは我々以上に安定しているんです……」
 そういえば、私にも思いあたることがあった。というのは、さっき私の胸に靠れかかったルミの体は、少女のように柔かく、温かではなく、然も、心臓の鼓動とは違った響きを、たしかに感じたのであった。あの時の、奇妙な触感は、これであったのだ。
「……而も、この電気人間ルミについて僕が第一に自慢したいのは、僕からルミへの命令伝達方法です。これは彼女の生命ともいうべきもので、昔の、玩具みたいな人造人間のように、ちゃんと一個所に立ったままで、このスイッチを押せば右手を挙げ、このスイッチを押せば声を出す、といったような、有線操縦ではなくて、無線操縦よりも、更にもう一歩進んだ、寧ろ、神秘的なといった方がいいかも知れないが、『脳波操縦』という斬新な方法を採ったことですよ」
 森源は、昂然と眼を挙げた。
「脳波操縦――?」
 私は、思わず森源の眼を見かえした。
「そうです、脳波操縦です、恐らく、こんな言葉を、聞かれたことはないでしょう――無理もないですよ、これは私の作ですからね。これは、一言でいえば、人間が脳を働かすと、そこに一種の電気が起るんです。これは極く微細なものですけれど、鋭敏な電極をもって、その確かに存在していることが確かめられるばかりでなく、それを増幅して、オッシログラフに取ることも出来るのです――。ところが、そのオッシログラフによって見ると、脳の発する電磁波つまり脳波は、声波と同様に変化するのを知ったのです。
 早い話が『よし』というのと『いな』というのでは、瞭《あき》らかに声波が違います――違わなければ、判別出来ないわけですからね――と同じで『よし』と思い『いな』と思うと、その思うことによって生じた脳波は違って来るんです。その放射される脳波を、無線操縦と同じように、彼女がその頭の中にある受波装置で受けて増幅し、各機関を操縦する――、これが、脳波操縦なんですよ」
 森源は、一寸言葉を切って、私が、その話を了解しているかどうかを確かめ、
「だから、彼女ルミを操縦するには、私が、頭の中で『立て』と思えば立ち、『右手を挙げ』と思えば、右手を挙げるのです。私は、命令を口に出す必要はない、ただ、頭の中で、命令を考えればいいのです」
「ほう――」
 私は思わず感嘆の声を挙げてしまった。
 なんという精巧な電気人間であろう。
 問わず語らず、謂わば『以心伝心』で操縦することが出来るとは――。
 これこそ、全く人間以上! のものである。
 ……私は、新たな眼をもって、さっきから足元に倒れているルミを見下した。

   遺書『π』

「ところが……」
 森源は、悲痛に、口元を歪めて居るのであった。
「ところが、このルミが、余り精巧であった為でしょう、あなたは、このルミに、人並み以上の好意を持たれたようです――」
「…………」
 面映くはあったが、私はそれを否定することは出来なかった。かすかに頷く私を見て、森源は尚もいうのだ。
「そして、それ以上に不幸なことは、どうやらルミも亦、あなたに恋を感じているらしいのです」
「えっ――」
 私は、思わず森源を見上げた。
「でも……私がルミさんを、いや、ルミさんがまさか電気人間だとは知らなかったから、美しい女として、恋めいたものを感じたのは認めますけど、然し、それにしても、哀しい機械である筈の彼女が、私に恋をするなどということが出来るのでしょうか、――いかに貴方の天才的技術で造られているかは知りませんけれど、でも、機械が、人造人間が恋をするという『意志』を持てるのでしょうか」
 半信半疑ながらも私は、人造人間に恋し、恋された男として、心中激しく狼狽せざるを得なかった。
(森源は、冗談をいっているのではないか?)
 然し、彼は、相変らず悲痛な顔をして、
「いや、事実です、第一僕の意志にないことだのに、ルミは、独りであなたの家まで来ました。ここまで来たのは瞭らかに、ルミの個人の意志なんです」
 そういえば、私にも一つ、思いあたることがあった。というのは、ここに来たときの、ルミの言葉だ、あの「あたしおまえが好きなの、好きなの、好きなの」といった言葉で、実に奇妙な響きであったけれど、その変な響きというのは、丁度レコードの同じ溝の上を、針が何回も廻っている時のような、不自然な繰返しとそっくりであった。――恐らく、彼女の愛の言葉は、これ以外に記録されていないのであろう、彼女の懸命な発音は、その記録の上を、必死に反復繰返したのに相違ない――。私は、慄然としたものを感じて来た。
 世にも奇怪な、人造人間との恋愛という、未だ曾て聞いたこともない事実を、私は身をもって演じていたのである。
 それにしても、どう考えても私に呑込めぬのは、ルミの有する感情――意志であった。如何に精巧な電気人間であるかはしらないけれど、それがすでに自己の意志を持つということは、とても、森源の科学でも説明することは出来ぬのではないか、と思われた。
(森源は、それを、どう説明するのであろう――)私は無言で、足もとの彼女を見詰めていた。
 彼も、無言であった。既に、必要な言葉全部を吐出してしまった人間のように、ただ茫然と、しどけなく床に伸びたルミを、見下しているのであった。
 その横顔、小鬢のあたりに、私は、思いがけぬ白いものを見、森源は、すでに、そんな齢なのであるか、と気づき、その落ちた肩をそっと抱いてやりたいような気もしたのであった。
      ×
 森源は、やがて、ルミを抱えて去った。
 私はわざとそれを送ろうとはせず、二階の手すりから、科学者森源が、それこそ半生の精魂を罩めて産んだルミを、半ば引ずるようにして去って行く後姿を、泪ぐましい気持で見詰めていたのであった。
 森源にとっては、実子にも増す、かけがえのないルミが、路傍の人であった私の為に、科学の常識を無視して、彼を棄ててしまったのである。彼の悲痛さは、私にも充分想像することが出来た。それだけに、尚さら、森源の重たげな足どりが、よろめくように私の視界を去っても、私の暗然たる気持は、長く拭い去ることが出来なかった。
 ――その夜、私はここへ来ては唯一の慰安であるラジオを聞こうとして、ダイヤルを廻しながら、不図、愕然として思いあたることがあった。
 というのは、ルミの意志――についてである。あれは、ルミの意志ではないのだ、私の意志なのである。
 森源は、脳波操縦ということをいっていた。私はラジオをいじり乍ら、その脳波と電波というものを合せて考えついたのであった。つまり、森源の脳波と、私の脳波とは、同一波長ではないのかということである。ラジオにしたって、沢山ある放送局が、完全に分離することが出来るというのは、波長が違うからだ、と聞いていた。若し、同じ波長の放送局が二つあったとしたら、必ず受信器は、両方の局のを受信するに違いないのだ。
 そうだ、森源と私とは、偶然にも脳波が一致しているに違いない。
 私が、ルミに遊びに来て貰えまいか、と思ったことがルミに受信されて、彼女は、その通り動いて来たのだし、私の彼女を密かに愛することを写して、ルミは、あのようなことをいったに違いない。そうだ、それ以外になんとも説明の仕様がないではないか。
 それにしても、なんという致命的な偶然であろう。私は、最早、二度と森源を尋ねることも、ルミのことを考えることも、断念しなければならないのだ。
 私は、この意見を、わざと手紙で、森源に書き送った。密かに、彼の否定の返事を待ちつつも――。
 ところが、折りかえし森源から来たハガキには、裏面にただ一つ、大きく『π』と書かれてあるきりだった。
 π――一体、それは何を意味するのであろう。謎のような一字を前に、私は、この字に関連するようなものを、一つ一つ思い浮べてみた。
 然し、落着くところは、矢張り『円周率』であった。πなどという字は、円周率を表わす時以外に、一向使った憶えがないのであった。それにしても『円周率』とは、何を意味しているのであろう、3.14 ……という無理数であるπは、何《ど》んな意志表示なのであろう。
 無理――という言葉に、何か意味をもたせたのかも知れぬ、とは思ったが、結局、そうでもなさそうである。
 私は、仕方なしに、東京から、数日を費して、円周率に関する書籍を取り寄せて見た。
 然し、矢張り隠されたような意味を、発見することは出来なかった。
 3. 1 4 1 5 9 2 6 5 3 5 8 9 7 9 3 2 3 8 4 6 ……と書かれた数字の行列を眺めながら、私は、腕を拱いてしまったのである。
 と、その数字を拾いよみして行くうちに、口の中で読み上げられた音は、妙な、歌をなしているようであった。はっとした私は、もう一度、気をつけて読みなおして見た。
 すると、それは、
「みひとつよひとついくにむいみいわくなくみふみやよむ……」となって、強いて漢字をあては
前へ 次へ
全4ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
蘭 郁二郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング