した」に傍点]は今日より三十分早く起きる、そのあした[#「あした」に傍点]は又三十分早く起きる――といったって、毎日三十分ずつ早く起きたら溜らないから十分位ずつ早くおきて、それに馴れたら又十分位ずつ――十分位早く起きるのは一週間もあれば馴れちまうよ、馴れるというのは恐ろしいもんだね、習慣というのは実に偉大なもんだ、この世の中はすべて慣性、イナーシアーというものが支配しているんだ……』
 黒住は、滔々と奇怪な説明を始めるのであった。私は、普段黙ってばかりいる箒吉の、このモノに憑かれたような饒舌に、寧ろ唖然としてしまった。
『それで、君は、眠りを減らしているというのかい――』
『ウン、僕はここ数ヶ月、血の出るような苦心を払った、僕は一週間に二十分位ずつ睡眠時間を減らしてみたんだ、そして君、成功したよ、もういまでは二日に十五分も寝ればいいんだ、四十八時間のうち十五分しか寝ないんだ、もうすぐ三十日間に十分も寝ればいいようになるだろう……』
 私は、黒住が、これほど巧みな話術を、持合せていようとはいまの今まで気がつかなかった。
(なんだバカバカしい――)と思うほかに(或は、そうかも知れぬ……)とも思われて来るのだ。
 ダガ――
『ナゼそんなことを始めたんだい』
 私は、とうから聞こうと思っていた問題に辿りついた。
『それは、それは一寸』
 彼は何故《なぜ》か一寸|口籠《くちごも》ったが、
『まァ、いってみれば、僕はあのまどろみの快感を味わいたいからなんだ、あのぬくぬくと暖かい床の上に長々と、ねているのか、覚めているのか、そんな訳のわからぬ快よい線を彷徨《さまよ》いながら起きる気持、手足には鉛がつまったように、いまにも抜け落ちそうなカッタルさ……僕にはその気分がたまらなく好ましいんだ、で、始めの中は、早く起きてはそのふらふらするような快感に陶酔していたんだが、それが段々深味におちて、もう救われなくなってしまったんだ――「眠り」という与えられたものを無理に引剥がした――罪かもしれないね……』
 彼は、こういうと寂しそうな声をたてて笑うのであった。
(無理に眠りをへらして、そのふらふらする気持に陶酔するなんて……)
(でも、黒住のような変屈者《へんくつもの》には、そういうものかも知れぬ……)
『君、それだけの理由じゃないだろう』
 私はワザと詰問するようにいった。
『えっ、そんなことは……じゃあ、一緒に家へ来ないか――』
 彼はギクリとしたように立ち上ると、もう出口の方へ、あゆみはじめた。

      五

 私は、その痩せ呆うけた黒住の肩口を見詰め乍ら、彼について行くより仕方なかった。
(いい機会があったら、そんなバカなことを止めてやらなけりゃ……)
 黒住も、私も黙々と歩きつづけた。
      ×
 又黒住の家へ、私達がついたのは、もう九時も廻っていたろうか……でもばあや[#「ばあや」に傍点]に一寸挨拶をし、彼の部屋にはいって固く戸を閉し、間もなくばあや[#「ばあや」に傍点]がお茶をあの小窓から渡したきり、私達二人は、全然この世の中から隔離されてしまったのだ。その部屋は八畳位の広さで、窓は一ヶ所もなく、真白い箱のようなものであった。
 その中に、大きな寝台が一つ、書物のとりちらかされたテーブルが一つ、椅子が一つ、タッタそれだけの世界であった。その外目につくのは部屋のつきあたりにある一間位の押入とテーブルの本の間に挟まって、かすかにあゆみ続ける時計位のものであった。
(この間の時計の音は、これか――)
 私はそんなことを思いながら、部屋の中を見廻していた。
 黒住はベットに腰を下ろすと、私に椅子をすすめながら
『さっきは、何しろ外だったんで、ゆっくり話も出来なかったけど、僕は君がこんなヘンなことを始めた理由を……といわれた時は、思わず僕の心の底をみすかされたような気がしたんだ』
 とぽつりぽつり話し出すのであった。
『実際、僕もはじめは、あの寝覚めの妙な気持に興味を持ってやったんだけど、それが、最近そうとだけはいわれなくなって来たんだ。それは一寸、なんだけど、新らしい恋人が現われたのだ』
(恋人――)
 私は、あまりの思い構けぬ言葉に、呆然としてしまった。
『寧ろ、祝福すべきじゃないか――』
『いや、それがこの世のものではないんだ』
『――君は一体、僕をからかってるのか』
『いや失敬失敬、僕のいい方が悪かった、――でも、一寸適切な言葉がなかったもんだから……』
 彼は寂しそうに笑うと、目を伏せてしまった。
 私は何かしら異様な気持に襲われ乍ら
『君ハッキリいってくれたまえよ、もしそのことが重大な要件であり、僕に手伝いの出来ることなら遠慮なくいってくれたまえ、及ばずながら、なんとかしよう……』
『ありがとう、君がそういってくれるのは、トテ
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