モ有り難いけど、でも駄目な話だ、僕の恋人は夢の中だけしか現われて来ないのだ――』
(夢の中の恋人――)
私はその時代がかった話に、重ねて唖然とせざるを得なかった。
(今の世の中に、夢の中の恋人に憬《あこが》れる男があろうか……)
『君、とても信じてはくれないだろうけど、その彼女。ルミは、あの夢現《ゆめうつ》つのまどろみの中に現われるのだ――あの素破《すば》らしい弾々《だんだん》たる肉体、夢の様な瞳、葩《はなびら》のような愛らしい紅《くちびる》、むちむちとした円い体の線は、くびれたような四肢を持って僕にせまって来るのだ、イヤ、僕の口ではとても満足に彼女の素破らしさを伝えることの出来ないのが残念だ……』
黒住の顔は、かすかではあるが紅潮して来たようであった。
彼は又続けるのである。
『僕は、その彼女と逢う為に、前にも増してどんどん眠りを減らして、その深いまどろみをつくらなければならなくなった、――この儘では、眠りを全然失った時、それは僕の死ぬ時かもしれないけど……そんなことは、今の僕には問題じゃない。――ただ最後の場合になった時に、君だけはタッタ一人の友だちだから、事情を知っていてもらいたかったんだ』
私は、いつか言葉を失って沈黙してしまった。彼も亦、黙って時計の音に聞き入っていた。
六
それから、どの位時間がたったであろうか、突然黒住が立ち上ると、
『さあ、これから十五分ばかり寝なけりぁならんから、一寸失敬する……』
私は、ぼんやりと彼のなすままを見詰めていた。彼は目の前で洋服を、手早く脱いでしまうと、ベットに潜り込んだ――とみるまに、もう眠りに引ずり込まれていったようである。
私は、見るともなく、彼の寝顔に見入った。その余りにも瘻《やつ》れ果てた容貌、いたいたしいばかりに薄っぺらな胸板――彼は、一体どんな女に溺れてしまったであろうか……。
思い出すともなく、少年時代からの彼の様子などを考え出していた時、私は、思わずアッと叫ぶところであった。
彼が起き上ったのだ。
ダガ、彼はまだ寝ているのである。危なっかしい早瀬を渡るような足取りで、ベットからはなれたのだ。
(夢遊病――)
忌《いま》わしいそんなコトバがフト浮んだ。彼は私の前を無視して、押入の方に歩いていった。彼はたしかに目を開いていた。だが、その瞳はそこひ[#「そこひ」に傍点]
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