る道の向うから、も一人中田のように何か口の中で呟《つぶや》きながら、蒼白い若い男があるいて来た。
 その男はこの寒空に、着流しの着物をしどけ[#「しどけ」に傍点]なく開いて、猫じゃらしの帯が、いまにもずり落ちそうに見えた。着物は――中田の朦朧《もうろう》とした眼《まなこ》には、黒っぽい盲縞《めくらじま》のように思えたが、それが又、あたりの荒廃色と、妙に和合するのであった。
 中田は行きずりに、フト
『駅へは、どっちに行くんでしょう……』
 と、呟くように訊《き》くと、その若い男は、ギクンと立ち止まって、中田の顔を覗《のぞ》き込むと言葉|短《みじか》に
『こっちです』
 そういって、くるッと後《あと》を振り向き、今彼がやって来た方へ、コソコソと帰り始めるのだった。
 中田は、霞《かす》んだ頭の中で、
(案外、親切だな――)
 と小さく呟くと、遅れないように、その男と肩を並べてあるき出した。

      二

 それと同時に、宿酔《ふつかよい》に縺《もつ》れた中田の頭も、今日一日の目茶目茶な行動から、漸《ようや》く加わって来た寒気と共に、現実的な問題に近寄って来た。
 彼は矢張り黙りこくって、今までの成り行きを一生懸命|反芻《はんすう》してみたのだが、その記憶は極めて断片的なものでしかなかった。
 だが、彼女銀子に関しては、また余りにも鮮明な色彩をもって浮びいづるのだ。銀子の横顔に写る陽射しは儚《はか》なき男の血潮であろうか、その接吻《せっぷん》に腫《ふく》れた唇、そしてまだ陽を見たことのないクリーム色の(十二|字《じ》削《さく》)そして彼女の完全な(それは、悲しい、思っただけでも胸の疼《うず》くような)離反! 自棄酒《やけざけ》。そして自分は今まで、この始めて逢った男の、奇妙な話振《はなしぶ》りを夢中になって聞いていた……。
 然《しか》し、何故《なぜ》この男と知り合になったのだろう――そうだ、停車場《ていしゃば》へ行く道を訊いたのだった――フトその記憶に辿《たど》りつくと、中田は思わず足を止めて、改めてあたりを見廻して見た。だが、あたりは依然として、人家さえ視界から取払われた、曠茫《こうぼう》とした荒野にとりかこまれていた。それどころか――朝から天候の悪かった所為《せい》もあろうが――もうなんとなく薄暗くさえなって来て、荒涼とした廃頽的《はいたいてき》なこの原が、
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