電車の中で、バスの中で、この大きな都会ですもの、何千何万という大勢の人を見るでしょうが、それは唯その瞬間だけなのです。もう次の瞬間には皆再び私の眼に触れないドコカへ消え失せてしまうのです。
 ――でも、十年も二十年もの間には随分同じ人に逢うのじゃないのですか。
 ――或はそうかも知れません、然しあの人はこの前何処何処で見た人だ、と偲い出す事が出来ましょうか、……けれどこれが片田舎などで、人の尠いところでは一週間も滞在すれば見知りの顔が幾くつも出来ることを考えると、これは都会というものの持つ恐怖だということが出来ますね。
 ――では、私があなた[#「あなた」に傍点]と(あなた[#「あなた」に傍点]も毎日のようにここに来られるようですが)繁々と逢うというのは、何か特別なワケがあるんですかネ。
 ――ええ、そうです。私はあなた[#「あなた」に傍点]に感謝しているのです。街に道に充ち溢れた見知らぬ顔の中に、期せずして毎日あなたと逢うということは、非常に心強く思えるのです。
 原は、そういって莨を出すと無理に洋次郎に奨めるのであった。
 ――あなたは友人を訪れた時、若しその友人が不幸にして不在であった、としたら、非常にガッカリした、空虚な気持になるだろうと思います。心弱い私には、この見知らぬ顔に取巻かれた気持が、堪えられないのです。
 洋次郎は燐寸《マッチ》をとって、パッと擦った。原はそれを見ながら、突然、
 ――ところが、僕はその気持が大好なんで、
 ――?
 洋次郎は原が急にぞんざいな言葉で、変なことをいうので吸いかけた莨を、思わず口から離した。
 原はビクッとするように狼狽して、
 ――いやいや、騒然たる中の空虚、織る人込の中にこそ本当の孤独があるのです。恰度《ちょうど》紺碧の空の下にのみ漆黒な影があるように、……
 ダガ、洋次郎は、もう答える事が出来なかった。あの貰った莨を一口吸った時から、心臓が咽喉につかえ、体は押潰されるようにテーブルの上に前倒《のめ》って、四辺《あたり》は黝く霞み、例えようもない苦痛が、全身に激しいカッタルサを撒散《まきちら》し乍《なが》ら駈廻った。
 そうして薄れ行く意識の中に、原の毒々しい言葉を聞いた。
 ――さようなら。私は孤独を愛するのです。それを愛するばかりに、乱されたくないばかりに、あなたに死んで貰うのです。孤独は総てに忘れられ、総て
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