撃による元素変換に熱中した揚句、少しどうかしてしまったのではないか、と心配になって来た。しかしその手紙の行間には少しも冗談らしいところもないし、なお悪いことには、最近やっと研究のすすめられている原子破壊によって生ずるエネルギーというものは、実に想像を絶する莫大な魔力を持っていて、この力によれば、事実この地球そのものの爆砕も決して不可能ではないということだった。
しかしなぜ又、村尾はこんな風に、極小世界と我々の世界と、それから極大世界とを混同してしまったのであろうか――。木曾は眉をしかめて、二度も三度もその村尾の手紙を読返して見た。そうして見ると、最初にさーっと読んだ時に感じたばかばかしさというものが次第に薄れて、なんだか、その底から鬼気迫るようなものをさえ感じて来た。村尾の不安が、事実容易ならん予言のようにも思われて来たのである。それで、すぐ様石井みち子あてに手紙を書いた。
木曾礼二郎から石井みち子あての私信。
――東京は大変な暑さです、そちらはきっと東京より涼しいことと思います、お元気ですか。さて、突然ですが(そういえばこの前の石井さんの手紙に村尾君がひどく熱を上げていると書いてあったようでしたが)その村尾君も相変らず元気でしょうか。今日もらった手紙によるとだいぶ神経衰弱ではないかと思われる節《ふし》があるのですが……つまり元素変換の実験について疑問を起し、果てはこの地球を爆砕してしまうといったような過激なところがあります、様子をよく見た上、御一報下さい。八月十五日附――。
すると、石井みち子へはまだ木曾の手紙が着かないと思う頃に、行き違いに再び村尾からの手紙が届けられて来た。
村尾健治から木曾礼二郎あての私信。
――前便でだいぶいろいろなことを申し上げましたが、ほんとうに僕の抱いている不安というものがおわかりになったでしょうか、この恐怖は未だかつて地球人が誰一人として想像もしなかったであろう恐怖です、超大巨人によって我が宇宙が爆撃されるというのっぴきならぬ不安は……。しかもそれがいよいよ嘘でも冗談でも想像でもなくなりました。
というのは僕の実験室で大異変が起ったのです。僕はこうしてお知らせの手紙を書きながらも胸がしめつけられるような気持がするのですが……、その大異変というのは実験材料として置いた一粒の水銀が、いつの間にか忽然として自然変質をしてしまったのです。愕くべきことです、純粋な水銀が、得体の知れぬものになってしまったのです。もっと詳しく申しましょう、この異変を最初に見つけたのは石井さんでした、硝子盆の中の一粒の水銀(マッチの頭ぐらいと思って下さい)の色が、なんだ変だといい出したのです、そして、ひょいと抓《つま》んで見せました、(水銀は表面張力が強いですから抓んだことには愕きませんでしたが)しかしその上、あら、こんなに堅くなってしまったわ、といってギュッと押潰すように抓んで見せたのですが、この水銀はびくともしないのです、しかもです、テーブルの上に落すと、その水銀はカチ、カチ、カチと堅い音をたてて弾むのです、僕がぎょっとしている間に、石井さんは手許にあった金槌《かなづち》で叩き潰してしまいました、そしてこの水銀は茶色の粉となってしまいました。なんという愕くべきことでしょう。僕はいそいで他の水銀を調べました、しかしその他の水銀には一向変化が認められません、この粉砕された一粒だけが変質しているのです。
この怪異は何を物語っているのか。……僕はこの前にお手紙した宇宙爆撃の恐怖が裏書きされたように思われます。つまりこの水銀の中の電子には、我々の地球以上の高度な科学があったのだ、そしてやがて自分たちの宇宙がこの僕によって爆撃されることを予知して、その前に、自らの力によって自分の宇宙体系を爆砕し変換せしめてしまったのではないか、そして彼等にとっては超大巨人であるこの僕の眼に、自ら変質する科学を持っていることを誇示しようとしたのではありますまいか、これは僕の考えていたことと非常によく符合しているようです(ですから僕にはそう推察がついたのです)、しかも極小の電子に住む彼等の科学力は、現在の地球人よりももっとすぐれた愕くべき破壊力を持っているようです(なぜなら、現在の地球人の科学者、しかもある特種な研究に従っている科学者でさえ、やっと地球自体を爆砕するに足るだけのエネルギーを見つけ出したばかりなのに、彼等は、僕たちで喩《たと》えれば宇宙全般に亘って強大な破壊力を発揮するような、つまり地球にいて火星や海王星を狙撃して爆砕せしめ得るような、愕くべき科学力を持っていたに相違ありません、さもなくば、僕たちにとってさえ一粒として見える位の大きさのものをさえ、そっくり変質せしめてしまうことは出来ぬ筈なのですから――)
いよいよ僕たちの番がやって来ました、僕たちはこの水銀の中の一電子にいた「人間」の方法によって(残念ながら我々にはまだその通り真似る力はありませんが)、尠くとも超大巨人の宇宙爆撃の前に、地球自らの爆砕によって太陽系という一原子を変換せしめ、超大巨人に我々の科学の存在したことを示さねばなりません、僕は極力その準備にとりかかります、きっと最後まで石井さんは、この上もなきよく助手でいてくれるでしょう、それが僕の唯一の喜びであります。(声と文字以外の感応の方法によって、生物間の意志が疎通出来る方法が見つけられてあったならば、或いは僕の爆撃しようとしている電子上の極小人間、又、我々の地球を爆撃しようとしている超大巨人と、互いに了解し合うことが出来たかも知れませんが、それは最早、今の間に合わぬことになってしまいました、同時に又、今までの方法ではどうしても打あけることの出来ない気の小さい僕は、石井さんとも了解し合うことが出来ずに終るでしょう……)
いずれにせよ、準備の方をいそぎたいと思います、又お手紙いたします。八月十六日附――。
九
この、容易ならん村尾の手紙を貰ってから半月ほどもすぎた。前に問合せて置いた石井みち子からの手紙は、毎日待ち暮しているのになかなか来ないのだ。と突然電報がやって来た。
村尾健治から木曾礼二郎あての私信電報。
――ケッコウシマス、テツヅキヨロシクタノム。九月一日附――。
木曾礼二郎は文字通り愕然とした。村尾はこの地球を爆砕しようというのか! 注意をしたのに返事もせぬ石井みち子は何をしているのだ。
地球を粉砕するというのに手続きも糞もあるものか!
木曾は、給仕を呼ぶ暇《いとま》もなく、泡をくって研究所を飛出すと、急いで郵便局に駈けつけた。
木曾礼二郎から村尾健治あて私信電報。
――マテ。アトフミ。九月一日附――。
木曾礼二郎から、石井みち子あて私信電報。
――ムラオヲ、ジッケンシツニイレルナ。アトフミ。九月一日附――。
息を弾ませた木曾が、研究所の自分の部屋に帰って来ると、郵便局に行っている間に、航空便が届けられていた。
石井みち子から木曾礼二郎あての私信。
――先日はお手紙ありがとう存じました、早速に御返事を、と思いながら色々の都合ですっかり遅れてしまい、申訳ございません、それで、遅れを少しでも取り戻そうと、このお手紙を、いよいよ開通することになりました大東亜航空便に托してお届け申し上げます。御心配をかけましたが、村尾さんから木曾さまに妙な手紙を差上げましたというのは、これはすべて私の責任なのでございます、村尾さんが余りお仕事に夢中になっていらっしゃいましたので、つい浮き浮きしておりました私が、ほんの悪戯《いたずら》心から、こんな御心配をかけようとも知らずに、実験室の水銀の一粒を、そっと仁丹の(あの銀色をした小粒の)一粒と置きかえて置きまして、あら、実験にもかかられない前に、もうこんなに変ってしまいましたわ、きっと村尾さんがあんまり熱心だからですわね……と申しましたところが、村尾さんは私の冗談を笑われるどころか、急に、それ以来とても考えこんでしまわれたのでございます、とても悪いことをいたしました、あまりお仕事に夢中になっていられますので、お体にさわっては、と思ってした悪戯が、却って何故かひどく村尾さんを愕かせてしまったのでございます、そしてもう、私が何を申しても、それは冗談だったと繰返し申しても、少しも聞こうとはなされません……、泣くにも泣けない私は、でも丁度幸い、外出の出ました兵隊の兄にわざわざ寄って貰いまして、よく説明して貰いお詫びして貰いました、そしてやっとわかって頂くことが出来ました、ほっといたしました、しかも村尾さんは少しもお怒りになりませんでした、そういうみち子の好意がわからなかったのだといって却って兄に詫びられたそうでございます、そして村尾さんは、僕はこういう仁丹があるとは知らなかった、といって苦笑されておりました、村尾さんのように仕事に熱中される方には、ありそうなことでございます。
それから、兄は私に村尾さんとの結婚をすすめるのでございますが、木曾さまのお考えは如何でございましょうか、兄は、なあに木曾さんだってきっと賛成だよ、きっとそんなつもりでみち子をボルネオに寄来したんだろう、ついでに東京の方の手続も木曾さんに頼むがいい、などと笑っておりましたが、いずれ兄と村尾さんからも何か申し上げることと存じますが……、ともかくみち子も、ここに骨を埋める覚悟というものが、わかりかけてまいりました。八月二十七日附――。
木曾は愕然としたあとの呆然とした気持だった。この日附で見ると、村尾の電報より先に出されたものらしい。しかしそうすると、村尾のいうケッコウとは何をいうのであろうか。木曾はテーブルの電話を引寄せて、郵便局に電文の照会を頼んだ、間もなく知らされた訂正電文は次のようなものだった。
――ケッコン[#「ン」に丸傍点]シマス、テツヅキヨロシクタノム――。
木曾礼二郎は、長い廊下を伝って、庶務室の方にゆっくりと歩いて行った。木曾はこの研究所の結婚手続というものを知らなかったのだ。それを聞かなければならない。
しかしゆっくりと歩きながら、それとは別に、科学の力について考えつづけていた。
原子破壊によって生ずる莫大なエネルギーなどというものが、一般人に誰でも利用出来るほど科学が進み、そして通俗化したならば、我々の文化は、飛躍的な大進歩を見るであろうと楽しく思っていた。しかしそれがもし一狂人の手に弄《もてあそ》ばれるようになったならば、この地球は、いつ、幾億の人類とともに、木ッ葉微塵に粉砕されるか知れないのだ。
木曾は、歩きながら、フト背筋一面に押付けられるような冷めたさを覚えていたのであった。
[#地から1字上げ](未発表原稿)
底本:「火星の魔術師」国書刊行会
1993(平成5)年7月20日初版第1刷発行
入力:門田裕志
校正:川山隆
2006年12月30日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全4ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
蘭 郁二郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング