がつけられていなかった、だからボルネオは東印度の、いや世界の暗黒島といわれていた、しかし今度は東亜文化を西漸せしめなければならん、それには既に敵の手をつけた施設を流用するのもいいが、取りのこされていたボルネオに先ず東亜文化の一燈をつけるのも面白いじゃないか――とこんな風な、味なこともいっていたよ、それからその中には所長も出かけるといっていた、しっかりやってくれんと困るぜ、僕もここで、君たちに負けんつもりでやる」
「やります、僕は金《きん》の創造を、西洋の錬金術師が数百年かかって出来なかった金の創造というやつを、元素転換で工業的にやってのけたいと思っていますからね、現在のサイクロトロンといったものではまだまだとても駄目です」
村尾は、その神経質らしい迫った眉に、真剣な色を浮べていた。
「うん、そうだね、現在のサイクロトロンじゃあまだ一匙の水銀を転換させるのにだって何日かかることだか……一グラム何千円という金を造っていては、金を造って破産することだ、はっはっは、――石井さんは?」
「さあ、私は、研究室の皆さんが病気をされないように、それだけを心がけたいと思いますわ、それ以上のことは出来そうもありませんし、病気をされることが一番つまらない無駄なことですものね……それが結局皆さんの研究に、直接ではなくてもお手伝い出来たことになりますもの」
「なるほど……」
木曾は、この石井みち子を、今度のボルネオ行きの人選に加えて置いたことを、矢張り正しかったことと確信した。
ともすれば、熱狂的になり易い若い所員たち(仕事の重大であるということを自覚すればするほど)の中に、この優しくしかも折にふれて男まさりの意志を示すみち子を加えて置いたということは、何んとなく、自分の打った釘が一本きいたことを知った時のように、満足であった。昂奮すると、紅潮せずにむしろ顔が蒼白となる村尾が、あの発表の日以来、殊に蒼白い顔をしているのを見ると、余計にそれが思われるのであった。
四
なんだか落着かない忙しさの中に、ボルネオ行きの所員たちが立って行った。発表されてから一ト月ほどの予猶など、瞬く間に過ぎてしまって、ただわけもなく遽《あわただ》しさの中に、若い所員たちがゴソッと立って行ってしまった感じだった。
所員たちが行ってしまってから、二三日中はそうでもなかったけれど、一週間も立って来ると、木曾は、又しみじみと取りのこされた感じに襲われて来た。頭数《あたまかず》からいえば、三分の一ほどの減り方なのに、それでいて研究所全体が、ガランとしてしまったような淋しさだった。実験室で、ぼつぼつ実験に取りかかっている助手たちの姿にも、気のせいか一向に意気が上らないようにも思われた。
これではいけない、と思う一方、木曾自身にも残った所員たちの気持がわかるような気もし、強《し》いて注意を与える気にもなれなかった。これは支所行きの人選を、極く内々ではあったけれど、自分がしたのだという負《ひ》け目のようなものもあったし、それと同時にはまた、そのためには自分が残ってよかったという安堵に似たものもあった。木曾は、ガランとした実験室で、黙々として報告書の方眼紙に、実験特性曲線をマークしている残留所員たちの後姿を、黙って見つめていた。そしてたまに所員が自分の意見を求めて来た時などには、自分でも愕くほど大きな声を出したり、わざと笑って見せたりするのだった。
ボルネオ支所から、出発後二ヶ月目も終ろうとする頃になって、はじめての私信が届けられた。
石井みち子から木曾礼二郎あての私信。
――ご無沙汰いたしました。出発の際にはわざわざお見送り下さいまして恐れ入りました。もっと早く、お手紙いたしたかったのですが、馴れぬ土地にはじめての旅、しかも始終仕事のことを考えていなければなりませんでしたため、遅れてしまって申訳ございません、お許し下さいませ。
けれども、出先きの方々の御尽力で、思いのほか順調にまいり、当研究所ボルネオ支所の仕事ももうぽつぽつ始められるようになりましたからどうぞ御安心下さいませ。マングローブの繁るボルネオをはじめて見ました時は、なんとも口では申し上げられません気持でした、当支所はポンチャナクからカプアス河を、薪をたく川蒸気に乗って四日目につくシンタンの近くにございます、四月と十月の季節風交替期のほかは雨も少く健康地だといわれましたけれど、ほんとうに、こんなに住みよい所とは思いませんでした、地を蔽う熱帯樹林は、類人猿の住家《すみか》だそうでございますが、まだ、この眼で見る機会はございません、ダイヤ族の首狩も、ダイヤ族は島の奥におりますそうですし、私たちには関係もなさそうでございます、(あまり関係があっては困りますけど)。とにかく一同とても元気だということをお伝えいたします、研究所も、思いのほか立派な建物をそのまま頂戴いたしまして(以前にはココ椰子の会社だったそうでございます)いま私がこのお手紙を書いております部屋を、丁度赤道が通っているのだそうでございます。
私の仕事――赤道上に於ける南北極の磁力の影響――ということは、まだまだどういう結果になるかわかりませんけれど、いずれ準備が出来ましたらオッシログラフで精しい曲線を取ってお知らせ申し上げますが、一寸考えただけでは、両極から同じ距離にある赤道の上では、両極の磁力の力が平衡しているように思われますのに、実際は始終どちらかに浮動している様子でございます、これはだいたいいつぞや申されましたように地球の極がふらふらしておりますためか、地球が、鋼鉄で出来た永久磁石のようにはっきりとした磁石でないせいか、それとも、空気中の電磁的影響のせいか、なかなかむずかしい事のようでございます、それからもう一つ面白いことは、赤道の上ではどうやら北極――北半球から来る磁力線の方が、南から来るものよりも多いようでございます、これは普通の磁石ならば、その両極から出る磁力線の数が同じである筈でありますのに、こういう違いがあると申しますのは、どうも考えられない妙なことでございます、これもまた、地球というものが、私たちの知っている磁石とは別のものでありますのか、或いは又、南からの磁力線が宇宙の中に吸収されてしまいますのか、それとも、北半球には南半球に比べてずっと陸地が多いということが、何かの原因になっておりますのか――。
ずいぶん堅いお手紙になってしまいました、こんなことを書くつもりではございませんでしたのに、つい今、気にかかっておりますので筆が正直なことを書いてしまいました。それから、村尾さんたちのサイクロトロンは、まだ準備に時間がかかるようですので、それまで私の方を考えて頂こうと思っております。
昨日の川蒸気で、ポンチャナクから日本のお味噌を持って来てくれました、それで今朝は、とてもおいしい味噌汁《おみおつけ》が出たことをお知らせいたします。五月十二日附―。
五
村尾健治から木曾礼二郎あての私信。
――東京は、この手紙が着く頃はそろそろ梅雨《つゆ》にはいることと思います。東京のあのじめじめと降りつづく雨から、僕たちは開放されたわけです。青空、そして豪快な雨――。僕は内地が世界第一の風光明媚といわれていたことに少々疑問を持って来ました、いや、風光は明媚かも知れませんが、しかし第一の健康地であるかどうか、これは疑問ではありませんか、緯度からいったら樺太の北に当るベルリンやロンドンでは樺太で想像する生活ではありません、とにかく地球の自転の方向からいって、亜欧大陸、米洲大陸など大陸の西側が健康地である筈です、内地やニューヨークなど大陸の東側に在るものは、それよりも劣るとも優ってはいないでしょう、といって何も絶対的ではありませんけど……、とにかく僕は内地を出れば悉《ことごと》くが瘴癘《しょうれい》の地であるという考えをもっていたら間違いだ、といいたいのです、第一僕たちがボルネオに出発するといった時に、体に気をつけなければいかんといって、おそろしい不健康地に行くように思っていた友人もいますが、それは結局英国なんかの宣伝に乗っているんです、彼等は、まだ自分たちの手が十分についていない土地は、住むにたえぬところとして宣伝して、世界の眼から隔離して置きたかったからに相違ありません、ボルネオは健康地です、つくづくそうわかりました、猛獣毒蛇もいません、鰐《わに》は少しいます、しかし東京にだって蛇はいるのですから、愕くにあたりません。僕は健康です、そして準備の整い次第早く仕事にとりかかりたいと張切っていることをお伝えして置きます。石井さんも元気です、そして皆んなのために朗らかな雰囲気をいつも持たしてくれることに感謝しています。
長い船旅のつれづれに考えたのですが、われわれ人間には話という「声」や、手紙という「文字」によらなくて、もっと直接的な通信(通信といって変ならば、意志の交換とでもいいましょうか)が科学的に掴まれなければならぬと思います、たとえば一群の蟻は、音もせぬ真暗闇の中でどうしてその全部の間に瞬間的な通信が出来るのか、飛んでいる※[#「蠢」の「春」に代えて「亡」、第3水準1−91−58]《あぶ》はどうしてお互いに見つけ出すことが出来るのか、それは生物間の通信というものに、「声」と「文字」以上のものがあることを思わせます、或いはまた恋とは声とか文字とか以外のものを持って調和し、科学ではわからない何らかの方法でお互いに感じたり、心と心、魂と魂とが交流したりすることが出来ることのようです、声は会話ばかりでなくラジオによって広められ、文字は手紙ばかりではなく印刷によって広められています、しかしながらこの最後の通信方法は、まだ現在のところ存在を認められながら正体を掴まれていないのです、しかしいずれは掴まれると思います、例えば陰陽術師のように、あらゆるものを陰陽に喩《たと》えるならば、磁石の正負を男と女の群に見ることも出来るでしょう、そしてそれならばあの有名な電磁場の法則に従って、一人の男から空間を乗越えて彼女に感応する「恋の量」を計算し、小数点以下まで現わすことが出来る筈です、しかしながら実際にはこのビオ・サヴァールの法則が生物の意志の感応の上にそのまま適用出来ぬことはわかりきったことです、そしてはそれは取りも直さず、この法則につき纏っている「或る常数」の値を決定出来ぬからではないでしょうか、この「或る常数」の中に、僕たちのまだ知らない要素が密《ひそ》んでいるに相違ありません。
もしこれを僕が掴むことが出来たら!
石井さんはこの頃、何か非常に朗らかな様子です、真白いワンピースを着て、蝶々のように飛廻っています、しかし僕にはまだ「仙術を習得し得ない仙人」なのですから、その理由を感応することが出来ません……、尤もこれは、感応出来ない方がいいかも知れません、ほんとうにどんどん感得出来て、「スイッチの切れないラジオ」のように四六時中頭の中に他人の意志が響いて来ていたんでは、僕は気が狂ってしまうかも知れませんから。呵々《かか》。五月二十八日附――。
六
木曾礼二郎から石井みち子あて私信。
――過日はお手紙ありがとう、早速に返事を書くつもりだったのに、急に所員が減ってしまったことや何かで、多忙にまぎれてしまっていました。しかしこの前のお手紙で元気らしいので安心していたのもその一の原因です。きょう村尾君からも手紙をもらいました、村尾君もなかなかに元気の様子、ボルネオに比べれば内地の方が気候が悪いといったような気焔を上げていましたよ、皆んな揃って元気なのは何よりです、ことに石井さんは昨今非常に朗らかだということですね、そんなにいいことがあったら知らせて下さい。僕も出張ということでそっちへ行って見たいと思っていましたが、矢張り手不足などでどうやら急には行けそうもなくなりました、鬼が笑うかも知れませんが今年の末か、来年には皆さんの元気な、ボルネオ焼けの顔が見られると思います。内地の冬に、避寒がてら行ければ嬉しいと
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