お手紙を、いよいよ開通することになりました大東亜航空便に托してお届け申し上げます。御心配をかけましたが、村尾さんから木曾さまに妙な手紙を差上げましたというのは、これはすべて私の責任なのでございます、村尾さんが余りお仕事に夢中になっていらっしゃいましたので、つい浮き浮きしておりました私が、ほんの悪戯《いたずら》心から、こんな御心配をかけようとも知らずに、実験室の水銀の一粒を、そっと仁丹の(あの銀色をした小粒の)一粒と置きかえて置きまして、あら、実験にもかかられない前に、もうこんなに変ってしまいましたわ、きっと村尾さんがあんまり熱心だからですわね……と申しましたところが、村尾さんは私の冗談を笑われるどころか、急に、それ以来とても考えこんでしまわれたのでございます、とても悪いことをいたしました、あまりお仕事に夢中になっていられますので、お体にさわっては、と思ってした悪戯が、却って何故かひどく村尾さんを愕かせてしまったのでございます、そしてもう、私が何を申しても、それは冗談だったと繰返し申しても、少しも聞こうとはなされません……、泣くにも泣けない私は、でも丁度幸い、外出の出ました兵隊の兄にわざわざ寄って貰いまして、よく説明して貰いお詫びして貰いました、そしてやっとわかって頂くことが出来ました、ほっといたしました、しかも村尾さんは少しもお怒りになりませんでした、そういうみち子の好意がわからなかったのだといって却って兄に詫びられたそうでございます、そして村尾さんは、僕はこういう仁丹があるとは知らなかった、といって苦笑されておりました、村尾さんのように仕事に熱中される方には、ありそうなことでございます。
 それから、兄は私に村尾さんとの結婚をすすめるのでございますが、木曾さまのお考えは如何でございましょうか、兄は、なあに木曾さんだってきっと賛成だよ、きっとそんなつもりでみち子をボルネオに寄来したんだろう、ついでに東京の方の手続も木曾さんに頼むがいい、などと笑っておりましたが、いずれ兄と村尾さんからも何か申し上げることと存じますが……、ともかくみち子も、ここに骨を埋める覚悟というものが、わかりかけてまいりました。八月二十七日附――。

 木曾は愕然としたあとの呆然とした気持だった。この日附で見ると、村尾の電報より先に出されたものらしい。しかしそうすると、村尾のいうケッコウとは何をいうのであろうか。木曾はテーブルの電話を引寄せて、郵便局に電文の照会を頼んだ、間もなく知らされた訂正電文は次のようなものだった。
 ――ケッコン[#「ン」に丸傍点]シマス、テツヅキヨロシクタノム――。

 木曾礼二郎は、長い廊下を伝って、庶務室の方にゆっくりと歩いて行った。木曾はこの研究所の結婚手続というものを知らなかったのだ。それを聞かなければならない。
 しかしゆっくりと歩きながら、それとは別に、科学の力について考えつづけていた。
 原子破壊によって生ずる莫大なエネルギーなどというものが、一般人に誰でも利用出来るほど科学が進み、そして通俗化したならば、我々の文化は、飛躍的な大進歩を見るであろうと楽しく思っていた。しかしそれがもし一狂人の手に弄《もてあそ》ばれるようになったならば、この地球は、いつ、幾億の人類とともに、木ッ葉微塵に粉砕されるか知れないのだ。
 木曾は、歩きながら、フト背筋一面に押付けられるような冷めたさを覚えていたのであった。
[#地から1字上げ](未発表原稿)



底本:「火星の魔術師」国書刊行会
   1993(平成5)年7月20日初版第1刷発行
入力:門田裕志
校正:川山隆
2006年12月30日作成
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