生している小麦の染色体は十四ですが、私たちが食用にするような栽培されている小麦はその三倍の四十二です、それから野苺《のいちご》は十四ですが私たちが食べるような苺はその四倍の五十六、こんな風に、つまり染色体の数が多いと同じ苺なら苺でも優れているんです、例えば育ちが良いとか、寒暑に耐えるとか……」
「なるほどね、そうすると、何んとかして染色体とやらの数を多くすれば、優れた作物が出来る、というわけですね」
「そうです、そう思っていいでしょう。だからもし人工的に染色体の数を多くしてやることが出来たら、定めし立派な作物が出来るだろう……というわけですね」
「じゃ志賀さんがその方法を発見された、というんですか」
大村は、そういいながら、ふと又さっきの庭先きの菊に眼をやった。
「いや私というわけじゃありませんよ。つい最近外国でアルカロイド剤の一種を使って、すでに非常な成功を見せているんです。こいつは簡単な方法で煙草でも玉蜀黍《とうもろこし》でも大成功、金盞花《きんせんか》という花では、この薬を使って直径が普通の倍もある見事な花を咲かせたそうです――、ただ私はそれに少しばかりの改良を加えたまでのことなんですよ」
「少しばかりの改良――といわれるけれど、本当はその仕事が実に大変なことなんでしょう、そんなに謙遜《へりくだ》ることはありませんよ、絶対ありません、とにかくこれだけ出来ればすばらしい成功です、寧ろ大いに自慢し宣伝した方が、国家のためだと思いますね」
大村は、いつか膝をのり出していた。英二にしても全く同感だった。同じ広さの畠から段違いに多量な、しかも優秀な収穫が得られるということは、殊に限られた畠しかもたぬ日本にとって正《まさ》に画期的な、大発明といっていいであろう。
志賀健吉は、熱心にほめる大村たちの顔を面映《おもはゆ》そうに見守っていた。
「とにかくこんな大発明を遠慮することなんかあるもんですか、染色体がどうのこうのなんていうから、ややっこしくなるんです。そんな理屈はぬきにして、どうです一つ『火星の果実』という名前で大いに売出して御覧なさい」
「ありがとう……、そういって下さるとやっと私にも自信がついて来ましたよ、仰言《おっしゃ》る通り議論よりかモノですからね……」
健吉は、傍らの美しい妹と顔を見合せて微笑んだ。永年の苦心がやっと酬《むく》いられた人のように、愉しそうだった。
火星人
「――それにしてもですねえ、火星の植物は丁度こんな具合かも知れませんよ、地球だってこれから何百万何千万年の後には、自然に進化してこんな果物が実っているかも知れません、地球よりもずっと空気の薄い、太陽の弱い、しかも水の不自由なところに、地球から青々と見えるまで茂っている火星の草や木は、きっとこんな風に染色体の多い、優れたものになっているんじゃないでしょうか、……そういえば自然が何千万年かかってやった進化を、あなたはタッタ数年間でやってのけたわけですね」
話に夢中になっているうちに、いつの間にか秋の陽は落ちて、庭先きの杉の木の上には、赤い火星がいつもよりも一際輝き増しかかっていた。大村も英二も、火星を覗きにかけつける筈になっていた天文台のことも忘れ、夕闇に浮んだ窓辺の向日葵《ひまわり》をしのぐ巨大な菊の花に見入っていた。
都会の騒音をはなれ、久しぶりのこの高原の静けさにうっとりとしてもう椅子を立つのすら大儀になってしまったのだ……。
――ハッと気がつくと、いつの間にか志賀健吉の骨ばった腕が、しっかりと椅子のうしろを掴み、のしかかるように髭だらけの顔がすぐ耳元に迫り、激しい息使いが、気味悪く大村の横顔を打っていた。
「――、おい誠子《まさこ》、さっきの茶に混ぜといた薬がやっと効いて来たようだぜ、二人ともぐっすりといい気持に睡《ねむ》ってる、ふっふふふ」
(エッ――?)
大村は、ドキンとして飛起きようとした。だが、どうしたことか手足はまるで鉛のように冷たく重いのだ。声さえも出ない。誠子と呼ばれたあの妹が、何かいっていることすら聴こえない。
ただ耳元で激しい息使いとともに喋べる志賀健吉の悪魔のような声だけが、途切れ途切れにひびいていた。
「――、ありがたい、いよいよ最後の実験が出来るぞ、草や木はもう沢山だ、人間の染色体を増してやったらどんなことになるか?……男は四十七だからそれを二倍の九十四と、それから三倍の百四十一とにしてやろう……この二人が世界最初の『火星人』となって成功するか、成功したらきっと今までの人間なんか猿のように見える、素晴らしい新人類が出現するかも知れんぞ……それとも、まんまと失敗するか……なあに失敗したって……」
大村は、もう頭の中まで、すっかり冷たい鉛になってしまった。それ以外何も聴こえなくなってしまったのだ―
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