かかるサナトリウムの全景を、じーっと見廻した。
諸口さんは目を半分閉じて、番茶を啜っていた。
三、夕暮は罌粟《けし》の匂いがする
私は食事をすますと、その足でマダムを見舞った。マダムは真白いベッドの中に落ち窪んだように寝、蒼白な額にはベットリと寝汗をかいて、荒い息吹《いき》が胸の中で激しい摩擦音をたてていた。
若い看護婦が一人、どうしたらいいだろう、というように、濡れた手拭《てぬぐい》を持った儘、しょんぼりと椅子にかけて、マダムの寝顔を見守っていた。
私はふと落した視線の中にベッドの傍の金盥《かなだらい》を見つけ、そして、それになみなみとたたえられた赤いものを見ると、何んだかとても悪いことをしたような気がして、その儘、あたふたと部屋を出てしまった。
部屋を出ると、入口のところに諸口さんが立っていた。
「どお……」
「……」
私は黙って首を振ると、長い廊下を歩き出した。
(駄目だ……)
口の中で繰返した。
(それにしても青木のやつ、どうしたんだろう……)
通りがけに青木の部屋を覗いてみたが、そこはガランとしていた。
×
部屋へかえると食後の散薬を飲もうと、薬台の抽斗をあけた、その時、中に挟んであったのであろうか、パタンと音がして部厚い白の角封筒が落ちたのに気がついた。
(おや――)
なぜかハッとして拾い上げてみると、表には「河村|杏二《きょうじ》様」とあって裏には「青木雄麗」と書きながしてあった。
思わずドキドキ波打って来る胸をおさえながら封を切った。
読みすすむにつれて、私の手はぶるぶる顫え、額や脇の下には気味の悪い生汗が浮んで来た。
×
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河村杏二様
僕は今、非常に急いでいるのだ、それにもかかわらずナゼこんな手紙をかいたか、それは最後まで読んで戴きたいと思う。
さて、極めて端的にいう、マダム丘子を殺したのは僕だ……不思議な顔をしないでくれたまえ、僕は気が狂ったのではない、いや、狂っているには違いないが、左様、僕はキザな言い方だが「恋と芸術」に狂ったのだ、僕はかつて丘子のような理想の女に逢ったことはない……だが世の中は皮肉だ、やっと廻りあったその僕の理想の女は、すでに大実業家の第二号なのだ、君にこの気持がわかるだろうか、も一つ、これを聞いたら君自身でも、この世の皮肉というものを痛
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